日比谷線東銀座駅(時事通信ビル)

時事通信ビル

新宿通りを東に歩き、さっきの四谷三丁目駅に戻る。
再び、丸ノ内線に乗る。
丸ノ内線は、古い路線だけあって、都心の主だった場所なら、大抵、行けてしまう。
銀座駅へ。地上に出てみると、銀座、というより、ほとんど、有楽町駅近くだが。
晴海通りを南東へと歩いていく。
銀座なんて馴染みがないから、買物客の間を急いですり抜けていくしかない。
南北に伸びる中央通りを越え、さらに南東へと歩いていく。
銀座の賑やかさは、徐々に落ち着いた感じになってくる。
昭和通りを越えると、もう、商業地、というよりも、オフィス街、といった方がいいかもしれない。
もう少し、南東へと歩いていく。掘割になっている首都高の上を通る陸橋がある。
その陸橋の手前で南西へ曲り、そのまま、歩いていくと時事通信ビルがある。
竣工は、失われた10年が終わった後、都心集積化の時代だ。
たしか、それ以前、この場所には、銀座東急ホテルがあったのだが。
バブルが崩壊した後の失われた10年の間になくなってしまったようだ。
代わりに情報の集積化、ということで時事通信ビルが建った、ということかな。
ただ、銀座東急ホテルだけが、なくなった、ということだけでもなさそうだ。商業地からオフィス街への変貌は、地域全体、という感じがするな。
その先の築地と銀座との境界線を形成するように、オフィス街が帯状に広がり、高層ビルがその中に建っていったのだ。
ただ、分離された、銀座と築地は、その昔、高度経済成長期以前だろうか、密接に関係していたように思う。
築地には、特にこの一帯には、築地料亭街が広がっていたはずだ。
築地、といえば、築地魚市場
築地魚市場と銀座の間に高級料亭地帯の存在。この組み合わせは、ありえそうだな。
今では、築地と銀座の間は、オフィス街になってしまった。さらに、築地魚市場も移転の予定だ。
とすると、銀座は、ますます、存在感がなくなっていくのだろうか。
もっとも、銀座には馴染みはないので、感慨もないんだけど。
(2008年5月記)