中央線荻窪駅南口(藤澤ビルディング)

藤澤ビルディング

さらに南へと歩き、中野駅へ。
中央線に乗る。
荻窪駅で降りる。
駅の近くだけ見ると、下町っぽい雰囲気がするのだが、街全体は、実は、山の手のような感じなのだ。
環状7号線を境にして、西側は、山の手の杉並、東側は、下町の中野、という風になっているのだろう。
とはいえ、やはり、駅周辺の庶民的な雰囲気は、独特なものがある。中央線文化、というものなのかもしれない。
あるいは、まるで、荻窪駅の東側を北西方向に斜めに横切っていく青梅街道や、その地下を走る丸ノ内線が、中野の下町の雰囲気を連れてきている、という風にも見える。
一般的には、交通量の多い通り沿いは、住環境がよくないので、下町になっていくのだろう。そして、そういった場所には、再開発が起こり、高層ビルが建ったりするのだ。
さっそく、荻窪駅の南口へ出る。
なんか、駅構内も城東の総武線の駅みたいだなあ。そういえば、総武線三鷹駅まで乗り入れているんだったな。実際、城東からも多くの住民が中央線沿線に移り住んだ、ということだが。
南口から線路沿いに東に歩いていく。
しばらく、東側に歩いていくと、道路の南側、青梅街道の中央線を越える陸橋の手前に藤澤ビルディングがある。
竣工は、バブルの頃だ。
バブルの熱狂に浮かれて建ててしまった、バブルの遺産だ。
たぶん、もし、今の時代に荻窪に高層ビルが建つとしたら、駅ビルになるだろう。
そして、一帯が閑静な住宅街なので、高層住宅になるに違いない。
今さら、建ててどうなる、というものでもないんだけど。
たしか、この藤澤ビルディングの場所には、もともと、明治天皇御小休所跡があったはずだが。
もし、この場所にそれが、残っていれば、ひょっとしたら、江戸時代、明治時代の武蔵野の原風景を伝える、歴史テーマパークになったかもしれない。
だけど、もう、元には戻らない。
時代の流れとはいえ、駅の近くだからこそ、残っていて欲しかった気もする。
(2008年5月記)