京浜急行大森海岸駅(東京マスタープレイス)

東京マスタープレイス

さっきの通りを西に歩いて、再び、青物横丁駅へ戻る。
品川シーサイドの圧倒的な近未来のビル群とは一転して、今度は、江戸情緒が溢れる一帯、となる。
そんな風に、近未来と江戸時代が隣り合っている、というのは、不思議な光景だな。
青物横丁駅京浜急行に乗る。
大森海岸駅で下車。
駅の南西側には、大森プロストシティレジデンスがある。
駅の東側に出て、南北に伸びる、交通量の多い幅広の、第一京浜に入り、南へと歩いていく。
しばらく歩いていくと、第一京浜の東側に東京マスタープレイスがある。
竣工は、バブルが崩壊した後の失われた10年、その後の都心集積化の頃だ。
駅からは、少し離れているが、さっきの、大森プロストシティレジデンスとともに、駅近くの高層住宅、となっているのだろう。
第一京浜を北へ進み、駅に戻ることにする。
途中、第一京浜の西側には、磐井神社という古い神社がある。
延喜式にも載っている、相当に歴史のある、正真正銘の古社だ。
さっきの青物横丁駅は、江戸時代だったのだが、今度は、もっと、もっと、昔だ。
あまりに昔なので、磐井神社のいわれや由来は、本当に、さっぱり、わからない。
わからないながら、ちょっと考えてみることにする。
近くを東海道が通っていたのだが、そもそも、その東海道は、江戸時代が始まってから開通している。それ以前は、西側の高台、尾根道が交通路だったはずだ。
とすると、江戸時代よりも古い磐井神社の近くには、幹線道路はなかった、ということになる。
道路がなかったならば、たぶん、磐井神社は、もっぱら、海の道、海運、あるいは、漁業に深く関係していた神社、とは考えられないだろうか。
例えば、ひょっとしたら、航海をするときの真水を調達するための井戸があって、それで、船が集まってきて、そして、いつしか、そこに神社が祀られたのかもしれない。
もっとも、そんな伝説、聞いたこともないしなあ。
へたな考えは、もう、ここらでやめた方がいいだろう。
それにしても、太古の昔から、神社が残っている、というのは、感動的でもある。
歴史テーマパークとして、取り上げれば、町おこしになるかもしれないな。
(2008年6月記)