山手線大塚駅北口(ステーションフロントタワー)

ステーションフロントタワー

高田馬場から山手線に乗る。
大塚駅で降りる。
大塚の街は、なんだか、池袋と巣鴨に挟まれていて、忘れられた感じがする。
その忘れられた、のどかな感じがよかったりするのだが。
でも、別の表現のしかたをすると、寂れた、とも言うのだろうか。
北口に出て、北西に伸びる通りに入り、そのまま北西へと歩いていく。
少し歩いていくと、通りの北側にステーションフロントタワーがある。
竣工は、バブルが崩壊した後、失われた10年の終わった頃だろうか。
最近、多い、駅近くの高層住宅の一つ、というところだな。
こうして、侘しい、と思われてきた、街にも、その雰囲気に似つかわしくない、巨大な高層住宅が建っていく。
これも時代の流れなのだろう。
ところで、今、歩いているこの道、かつては、谷端川、という川が流れていたそうだ。
谷端川は、池袋の西を南から北に流れ、池袋の北側で弧を描きながら、向きを、東へ、南東へと変えて、この道を流れて、大塚駅あたりを通り抜けていったらしい。
そういえば、この道のあたりは、なんとなく、谷地、あるいは、川筋、のような地形だと思っていたのだ。
そのような、川筋の地形は、大抵、住むには適さないので、商店が集まり、商店街や繁華街になったり、あるいは、下町になったりする。
大塚駅周辺も戦前は、繁華街として、大いに賑わったそうだ。
だが、戦後になって、賑やかな繁華街は、池袋に移ってしまう。
せっかく、谷端川は、埋立てられたのに。
川が埋立てられて、もう、じめじめした場所ではなくなったはずなのだが。
もっとも、郊外への鉄道路線がないので、繁華街がなくなるのは、当然、といえば、それまでなんだろうけど。
むしろ、池袋の街の発展が、例えば、新宿や渋谷と比べて、遅すぎたくらいだ。
ということで、あっという間に、池袋に繁栄を奪われてしまう。
高度成長期が終わってみると、大塚に残っていたのは、かつて川が流れていたであろう、谷地の地形と、寂れ果てた、過去の繁華街だけだったのだ。
そして、そんな忘れられた場所には、高層住宅が建つ、というわけだ。
(2008年6月記)