都営新宿線九段下駅(東京堂千代田ビル)

東京堂千代田ビル

大塚駅から山手線で巣鴨駅へ。
都営三田線に乗り換える。
さらに、神保町駅で都営新宿線へと乗り換える。
九段下駅で下車。
地上に出ると、東西に伸びる靖国通りと南北に伸びる目白通りとの交差点に出る。
この交差点の西側は、麹町、番町のある山の手、高台になっていて、見上げるような感じ。
この高台のために、靖国通りは、坂になっていて、しかも、この坂は、けっこう急なのだ。
クルマで靖国通りを東に向かって、走っている時、九段下にさしかかると、ちょっとした下り坂なので、少しスリリングな気分になるな。
このあたりを、江戸時代の地図で見ると、道路に線が縞状に何本も横切って引いてある。それで、この急な坂道が、当時は、階段状になっていた、ということがわかる。
だから、一帯の「九段下」という地名の「九段」は、その階段のことなのだろう。そして、その階段の下、ということで、九段下なのだ。
もっとも、さすがに、階段のままだと、クルマは走れないので、今は、坂道となっている、ということだろうか。(実際は、クルマが普及する前に、階段はなくなっているのだが)
交差点を南へと向かう。
しばらく南へ歩いていくと、通りの東側に東京堂千代田ビルがある。
竣工は、高度成長期が終わった後、安定期の頃だ。
やっと、高度成長を達成した、ということで高層ビルを建てたのだろうか。
あるいは、九段の坂の下だったところに、高層ビルが建った、ということは、九段の坂の上、山の手、麹町、番町に手が届いた、ということなのだろうか。
そのような理由でビルが建ったのかは、わからないけど。
ただ、間違いないのは、高度成長を達成した時代、誰もが、坂の上に手が届いた、そう実感していた、ということだろうな。
でも、バブルが崩壊して、今は、格差社会。坂の上を見上げることしかできないのだ。
手が届くなんて、ありえない話になってしまったなあ。
そんな、今の時代は、次のように考えるしかない。
坂の上に手が届いた、そう、思えたあの時代、東京堂千代田ビルが建った、あの時代こそが、日本の坂の上だった、というふうに。
(2008年6月記)