銀座線虎ノ門駅(新霞が関ビルディング)

新霞が関ビルディング

国会議事堂の前を、こうしてぶらぶら歩いているのは、どうやら、自分と外国からの観光客ぐらいだろうか。
観光目的、あるいは、社会科見学ぐらいしか、一般的に訪れる用事はないものなあ。
そう思いながら、南へと歩き続けていく。
通りの西側一帯には、議員会館があるらしいが、建て替え工事の真っ最中。
静寂な雰囲気の中、そちらの側だけは、工事中、ということで慌しい感じがする。
もっとも、工事をやっているところは、崖の斜面みたいな場所のようだ。
だから、忙しげな工事の騒音も丘の上のこの場所までは届かずに、崖の下へ反響していくばかりだな。
さらに南へ進み、国会議事堂の南端を過ぎると、今度は、急な下り坂になる。
引っ張られるように、どんどん、坂を下りていく。
下っていく途中に、霞が関官庁街に到る、東西に伸びる通りとの交差点がある。
その交差点の南東側に、新霞が関ビルディングがある。
霞が関ビルの裏側にひっそりと建っている感じの高層ビルだ。
竣工は、バブルの頃。
バブルと言えば、世の中、かなり、熱狂的だったのだが、その間、高層ビルは、ずいぶんと目立たない場所に、静かに建ったりしたのかな。
景気がいいから、高層ビルが、ぐんぐんと建つ、というわけでもなさそうだ。
霞が関ビルディングのあるところから、また、坂をちょっと下り、下りきると、そこは、虎ノ門、ということになる。
ようやく、国会議事堂の圏内から抜け出したような気がして、ほっとする。
普段の賑やかな街、下界に戻ってきたようだ。
日常の世界に帰ってきて、気分が落ち着いたところで、永田町から虎ノ門までの道のりを振り返る、余裕がでてきた。
永田町駅辺りから、急な坂を登り、台地の上にある国会議事堂に辿り着く。張り詰めた重苦しい空気の中を歩き、その国会議事堂を通り過る。そして、台地を下って、下界に降り立つ。
この道のり、まるで、日本という、このクニのカタチを体感したような気分だな。
さらに言えば、国会議事堂の東側には、茫洋とした、皇居が広がり、霞が関官庁街が続いているのだ。
そして、台地の南側、麓には、高度成長期に建った、霞が関ビル。その隣には、最近できた、もっと巨大な霞が関コモンゲートの高層ビルがある。
それらの北側には、ちょっと低めの目立たないが、妙な色をした、バブル期に建った、新霞が関ビルディングがある、という具合かな。
とすると、バブル期、というのも、日本のクニ、という中では、こんな程度のものだったのかもしれない。
(2008年6月記)