千代田線桜田門駅(東京高等地方簡易裁判所合同庁舎)

東京高等地方簡易裁判所合同庁舎

警視庁本部庁舎の東側を南へ伸びる、大通り、桜田通りへ入り、南へ歩く。
すぐに、桜田通りの東側に東京高等地方簡易裁判所合同庁舎がある。
この高層ビルも、高度成長期の終わった後の安定期に建っている。
平穏無事な社会にあっては、司法も磐石な高層ビルをもって、その平穏さを、支える、ということか。
警視庁本部庁舎のビルも通りの向かい側にあり、いよいよ、頼もしい限りだったに違いない。
でも、本当にそうだったのかな。今から、振り返って見ると、そうではなかったように思えてしまう。
当時の平穏無事な社会、その根幹は、高度成長により達成された、豊かな社会、だったのではないだろうか。
つまり、司法などではなく、豊かさこそが、高度成長以降の社会を支えていたように思うのだが。
例えば、皆が豊かさを享受していれば、その豊かさをもたらす社会を、あえて否定する者はいない。皆が、そのような社会を肯定してくれるだろうし。
だから、豊かであれば、社会も安定する、ということではないかな。
ならば、さきほどの警視庁本部庁舎や、今、目の前にある東京高等地方簡易裁判所合同庁舎の、かつての、頼もしさ、というのは、根拠はなかったのかもしれないな。
では、その後、そのような、豊かさによって支えられてきた、安定期の社会は、どうなったのだろうか。
バブル崩壊失われた10年の後、すっかり、平穏無事は、消滅してしまったのだ。
だが、社会の豊かさだけは、いまだに、維持されている。
格差社会、競争社会、になることで、だが。
そんな社会の中では、その豊かさを、皆が享受するわけではない。
豊かさは、競争のご褒美。テーマパークでの一抹の明るさ、楽しさ。そして、表面を飾る張りぼて。そんなものでしかなくなった。
しかし、そんな社会でも、豊かさのまったくない、司法だけが支える社会よりは、ましなのだろうか。それは、どうなのか、わからないな。
ただ、目の前の東京高等地方簡易裁判所合同庁舎や警視庁本部庁舎のビルが、やけに、煤けたようになっていて、もう、古びているのは、確かなことだ。
そのことは、幸福な時代は、もはや、遠い過去になってしまった、ということを、示しているのだろう。
(2008年8月記)