都営三田線志村三丁目駅(板橋サンシティD棟)

板橋サンシティD棟

高田馬場駅から山手線に乗り、巣鴨駅へ。
都営三田線に乗り換える。
地下鉄なら都営三田線が、なんとなく、一番好きだな。
いまだに、昭和の時代の雰囲気が残っていて、親しみが沸くのだ。
たぶん、高度成長期に完成した、広大な団地、高島平団地が、終着駅だからだろう。
そんな、都営三田線は、中山道の地下を、ひたすら、北西方向に走っていくのだが、途中、板橋のかなり北側、環状8号線の手前で、中山道からはずれ、東に向きを変えながら、地上に現れる。
そこからは、終着駅の西高島平駅まで、高架、となっている。
志村三丁目駅で下車。
駅からでてみると、まわりは、本当に、昭和の時代のまま。懐かしい気持ちでいっぱいになってしまった。
だけど、この懐かしさ、ただ、古いから、ということだけで、感じるわけではない。
たしかに、今となっては、十分に、古いんだけど、でも、高島平団地も、都営三田線も、そして、この一帯の街並みも、高度成長期には、近未来の最新式の都市空間だったに違いない。
その当時は、一帯に、未来への期待、夢が、満ち溢れていたのだろう。
だが、その未来への期待、夢は、そのまま、立ち尽くし、古びてしまい、レトロになって、そして、今、こうして、昭和の忘れ物、みたいになっている。
だから、その古びた、昭和の忘れ物の中には、当時の未来への思いが、今でも、残っているように感じるのだ。
その古びてしまった、未来への思いが、胸をいっぱいにさせ、懐かしさを、沸き立たせるのだろう。
そのような、感慨に耽りながら、環状8号線に入り、西へと歩いていく。
途中、首都高池袋線の高架が上空を横切っているところで、ちょっと細い道を、南へと進む。
東側は、板橋サンシティ、という集合住宅が広がる。
しばらくしてから、東へ。集合住宅、板橋サンシティの中へ入る。
南側には、板橋サンシティD棟。
竣工は、高度成長が達成された、安定期の頃。
高度成長期の未来への期待、夢が、一瞬だけ、まさに、実現したんじゃないかと、思われた、幸福な時期だ。
(2008年8月記)