都営大江戸線青山一丁目駅(伊藤忠商事本社ビル)

伊藤忠商事本社ビル

青山通りを西へと歩く。
まわりは、本当に青山らしい、洗練された街並みが広がっている。
世の中が豊かになって、街並みも、おしゃれになったのだろうけど、でも、自分にとっては、相変わらず、縁のない場所だなあ。
そう思いながら、西へと、歩いていく。
北へ伸びる、美しい、いちょう並木を通り過ぎ、さらに、西へ。
青山通りの北側に、伊藤忠商事本社ビルがある。
この高層ビルの竣工も、高度成長を達成した後の安定期の頃だ。
さらに、伊藤忠商事本社ビルの西側には、今は、別の高層ビルに建て代わっていて、もう、存在しないのだが、ハザマのビル群があって、高度成長期の終わりから、安定期にかけて、全体が完成している。
こうして見ると、やはり、半蔵門線の延伸と、これらの高層ビル群は、セットなのかもしれないな。
例えば、その半蔵門線には、田園都市線が乗り入れているのだが、だとすると、新しい山の手、田園都市とこの場所が、直結した、ということでもあるわけだ。
つまり、田園都市からやってきて、半蔵門線の駅から外へ出ると、高層ビルやきれいな街並み、いちょう並木なんてものもある、というところかな。
高度成長を成し遂げ、成熟債権国家になり、こんな風にして、世の中もやっと豊かになった。
これで、この成功物語は、めでたし、めでたし、で終わりになる、はずだったのだがなあ。
でも、この豊かさ、結局、世界経済の枠組みが前提、ということなんじゃないかな。
まわりから、たまたま、というか、うまく、というか、あぶく銭が、入ってきていただけなのかもしれない。
だから、このクニが、本当に豊かになったわけではないのだ。
所詮、高度成長の果てに辿り着いた、豊かさなんて、なんとも、儚い、砂上の楼閣。風が吹いただけでも、さらさらと、崩れてしまう。それが、この豊かさの本質だろう。
だが、そんなはずはない、とその脆い豊かさにしがみつき、挙句の果てには、格差社会まで導入する始末だったな。
けれど、その豊かさも、おしまいかもしれない。
結局、ビルだけ残るのか。隣のハザマビルは、とっくに、なくなっているけど。
まさに、豊かさの夢の跡だ。
(2008年8月記)