都営大江戸線光が丘駅(光が丘パークタウン大通り中央3-9-1号棟)

光が丘パークタウン大通り中央3-9-1号

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駅の南側に光が丘パークタウン大通り中央3-9-1号棟。
竣工は、こちらも、バブルの頃だ。
このように、高層棟も含めて、広大な光が丘団地は、バブルの頃に完成している。
今、目の前に広がる、集合住宅群の街並みは、バブルの頃にできたわけだが、では、それ以前は、いったい、どうなっていたのだろうか。
もともと、この場所は、大昔、戦前の頃は、公園かなんかになるはずだったらしい。
それが、戦争が始まったことにより、軍隊の飛行場に転用されてしまったのだ。
さらに、戦争が終わってからは、今度は、アメリカ軍に居住施設として接収され、グラントハイツ、という名前の住宅地になる。
そして、高度成長期が終わった頃、一帯は、やっと、返還されるのだ。
その返還された土地に、光が丘団地が建設されていく。
このような、戦争にまつわる、この土地の歴史を振り返ると、光が丘、という名前の重さが、わかるような気がするな。
しかも、世の中は、高度成長が達成された、安定期に入る頃だったし。
光が丘の「光」は、光り輝く未来、そう感じられたんだろうなあ。
光が丘団地の建設は進み、バブルの前ぐらいから、順次、完成していく。
たしか、当時は、交通の足は、バスしかなくて、鉄道に乗るには、東武東上線の駅までバスで行かなければならなかった、と聞いたことがある。
かなり、不便だっただろう。
ただ、その頃、クルマで見に行ったことがあるのだが、そこには、広大な公園と出来上がりつつある近未来的な街並みが広がっていて、本当に、時代は、いい方向に向かっている、と感じさせられたものだったな。
その後、光が丘団地の工事は、順調に進み、バブルの頃に完成。
また、交通の足として、都営大江戸線が練馬、さらには、都心の随所を結ぶ環状部分が開通している。
ひょっとしたら、この都営大江戸線の開通をもって、光が丘団地は、完成、ということなのかもしれないが。
こうして光が丘団地の歴史を見ると、バブルの頃に完成したもの、例えば、東京ドーム、アークヒルズ東京都庁舎、など、いろいろあるけど、その中で、もっとも、感慨深いのは、やはり、この光が丘団地ではないだろうか、と自分では思ってしまう。
なぜなら、ここへ来ると、あの当時の、無邪気かもしれないが、未来への希望の光が、当たり前に、世の中にあった、そんな記憶が、蘇ってくるからだ。
(2008年9月記)