中央本線甲府駅北口(セインツ25)

セインツ25

まわりを見渡すと、趣のある、昔ながらの繁華街、と、言いたいところだが、工事現場が広すぎて、そんな情緒は、もはや、存在しないな。
ところで、この場所、「新樹の言葉」では、桜町、という住所で、登場する。
甲府で、最も賑やかな場所らしく、今でも、桜町通り、という、通りの名前になって残っているが。
小説では、その桜町の東側が、柳町という料亭街になっていて、その中の一軒で、昔、離れ離れになった、乳母の子息と、主人公が、呑み明かすことになっている。
実は、その料亭、乳母の嫁ぎ先で、大きな呉服屋だったのだが、かなり前に、没落して、料亭になってしまっていた。
そして、乳母もその夫も、今は、もう、亡く、兄妹だけが、残されてしまったのだ。
だが、二人とも、すでに、デパートに勤めていて、立派に自立。暗さは、微塵もない。
古いしがらみから、解き放たれて、爽やかさですらある。
二日後に、その料亭は、火事を起こし、炎上する。
その、時ならぬ炎に包まれた、建物を眺めている、主人公と兄妹。
主人公は、兄妹の、むしろ、清々しい表情に、過去を断ち切り、未来へ伸びていこうとする、「新樹」、を感じるのだ。
小説「新樹の言葉」は、そんな、お話だったかな。
現実に帰って、目の前を見ると、炎上どころか、跡形もない更地になって、その場所に、ビルを建てている、工事現場が広がるばかり。そこに、「新樹」を感じるかどうか。あまり感じないような気もするが。
そんな昔の繁華街、旧桜町を後にして、北へ歩き、甲府駅へ。
甲府駅は、以前、バブルが崩壊した頃、来たことがある。そのときは、青春18切符で、あちこち、見て回るのに、夢中になっていた。
甲府駅は、乗り継ぎだけだったのだが、青春18切符の途中下車、無料、という、特権で、改札を出て、駅の周りだけ、見たのだ。
甲府駅の北口へ出る。
驚いたことに、昔、見た光景と、まるで、変わっていない。
そのときは、バブルが崩壊していて、工事は中断し、荒涼とした広大な更地が、広がっていたのだが、今もそのまま。ずっと、バブルが、崩壊したままだったのか。
その更地を抜けて、東へと歩いていく。
荒野の先に、最近、竣工した、セインツ25が、ぽつんと建っている。
都心近郊の駅一体型再開発に似ている。たぶん、バブルの頃のような、拡大開発路線は、もうやめて、コンパクトシティを目指すのかもしれない。
ただ、格差社会にあっては、コンパクトシティにはならずに、立体のゲーテッドシティになってしまうのかもしれないな。
セインツ25も、訪れたし、あとは、帰るだけか。ということで、甲府駅に向かう。
甲府駅で、新宿駅行きの特急に乗り込む。
車窓の風景は、すぐに、夜の帳に覆われ、街の灯りが、通り過ぎていくばかり。
日没までに、間に合って、よかった。
それにしても、過ぎ行く、街の灯りは、途切れない。線路沿いに、街が形成されているからだろうか。
そんな、明かりをぼんやり眺めていたら、列車が、山間に入る前に、いつしか、眠ってしまった。
目が覚めて、車窓を見ると、いつもの、中央線の光景。
今日のことが、ぼんやりと、頭の中を巡っていく。
そういえば、甲府に向かうとき、山肌を覆い尽くす、木々、森に圧倒されたな。
たぶん、森は、一本一本の、木が、「新樹」だからこそ、あのような、景観を作り出せたのかもしれない。
それに比べて、駅周辺は、工事現場や、工事を放棄した、更地が広がっていた。
寂しいかぎりだったけど。
もしかすると、豊かな森を作るなら、車窓に広がる、多くの明かり、その一つ一つが、「新樹」なのだ、そういう考え方が必要なんじゃないかな。
そんなことを考えているうちに、特急列車は、新宿駅のホームに滑り込んでいく。
新宿の街に降り立ち、雑踏の中へ。家路を急ぐ。
(2008年10月記)