日比谷線築地駅(興和築地ビル)

興和築地ビル

ニチレイ東銀座ビルの東側には、興和築地ビルがある。
この高層ビルも、バブル期の竣工だ。
隅田川沿いの多くの高層ビルと同じように、夢の跡、ということかな。
今もすでに、そうかもしれないが、あと何十年かすると、本当に、レトロの部類に入るかもしれない。
すぐ近くの勝鬨橋と同じように。
その勝鬨橋なのだが、初めて渡ったときは、妙に頑丈なつくりで、橋、というより、工場の施設の一つのような感じがしたな。
たぶん、跳開橋、ということで、橋が、真ん中から、割れて、開くようになっているからだろうか。
そうするための設備が、橋に、備わっているわけだし、そういった意味では、ただ、渡るためだけの橋ではないに違いないし。
つまり、隅田川の水運も可能にする、橋だったわけである。
だから、川を越える橋、というよりも、工場の巨大施設に見えたのだろう。
だが、そんな跳開橋も、高度成長期の後半を最後に、一度も、開いていない。
上流側の、工場、流通の設備がなくなり、水運の必要が、消滅してしまったからだ。
普通の橋になってしまったわけだが。需要がなくなったので、仕方のないことだろうけど。
そして、そのいらなくなった用地こそが、バブルの頃の、ウォーターフロントの舞台、ということになる。
でも、そんな場所も、あと何十年も経ったら、すっかり、レトロになって、忘れ去れてしまうんだろうな。
その時、隅田川の、ある岸部が、妙に、アーバンリゾートっぽくて、景観がよくて、気持ちのいい場所だな、と不思議に思うかもしれない。
そういうことで、それは、その昔、バブルという熱狂の時代があって、ウォーターフロント、ということで再開発されたから、なんて説明版が設置されていたりして。
そう考えると、勝鬨橋が、今では、橋を開くための設備が、無用の長物になり、歴史的テーマパークの材料に過ぎなくなった、ということと、同じようなことになるかもしれないな。
もっとも、自分にとっては、今でも、もう、すでに、バブルは、レトロの領域に入っている、と感じているんだけど。
(2008年10月記)