京王線初台駅(玉川上水の跡地)

玉川上水の跡地

いったん、南へ進み、幅広な中央通りへ。
中央通りを西に歩く。
すぐに、南北に伸びる東通りとの交差点。東通りに入り、南へ南へと進む。
かなり歩くと、東西に伸びる、交通量の多い、幅広な甲州街道に行き当たる。
そのまま、中央通りを西に進んでいっても、よかったのだが、早めに、西新宿高層ビル街を抜け出たかったのだ。
西新宿高層ビル街には、東西に伸びる、大通りと、南北に伸びる大通りがあり、それらの、通りは、立体交差になっている。
だから、なんとなく、立体迷路に迷い込んだみたいで、その中を、歩いていると、疲れるのだ。
この立体迷路、いかにも、疲れを知らない、元気のよかった時代、高度成長期の産物だな。
甲州街道を、西へ西へと進んでいく。
やがて、十二社通りとの交差点。
上空には、首都高の高架が、うねるように、伸びている。
これも、ある意味、立体迷路なのかも。こんな、建造物を作るなんて、今の時代は、ないだろうなあ。
十二社通りへ入って、少し、南へと歩く。
すぐに、甲州街道に沿うように、伸びている、玉川上水の跡地がある。
今は、暗渠化されているらしいのだが、地表は、細長い、公園のようになっている。
ただ、十二社通り近くの部分だけは、駐車場だ。将来的には、たぶん、公園になるんだろうけど。
ところで、この玉川上水、名前の通り、人工の河川なのだが、この界隈では、いかにも、人工的だな、という風になっている。
まず、北側を見ると、神田川の谷地があり、そして、さらに、南側は、渋谷川に合流している宇田川の谷地だ。
ということは、大袈裟に言えば、この界隈は、尾根になっている、というわけだ。
尾根の上を、川が流れている、なんて、自然現象としては、あり得ない。
人工河川なのだから、そうなっているのだが。
ちなみに、江戸時代は、今、立っている場所あたりから、北側の神田川へ、人工の川が、分流していたそうだ。十二社通りの通っているところかな。
そう考えると、江戸時代も、なかなか、パワーがあった時代なのかもしれない。
翻って、今の時代を見ると、そうした人工河川、玉川上水の跡の公園を、のんびり、歩いているわけか。
パワーがない、ということもあるのだけど、なんとなく、疲れているんだろうなあ。
(2009年2月記)