総武線錦糸町駅(日鐵NDタワー)

日鐵NDタワー

それにしても、季節、というものは、有難いものだな。
どんなに、厳しく、辛い、冬でも、時が来れば、春が、必ず、やってくる。
冬、来たりなば、春、遠からじ。
でも、生活の苦しさは、終わらない。
報われることのない自助努力。格差社会という名の鉄の檻。
季節とは違って、この、冬の時代が、変わることは、あり得ない。
ずっと昔は、春は、それほど、好きではなかった。むしろ、秋が、好きだったのに。
今は、最も好きな季節は、春。
不毛な、荒涼とした、世界が、手品のように、豊かな緑の世界へと変貌する。
本当に手品だ。いや、奇跡、なのかもしれない。
年を取ると、このような大変貌が、ちっとやそっと、では、起こりえないことは、身に染みて、わかってしまう。ついでに、よくない方向への大変貌は、実に、容易に、起こりえる、ということも、わかったが。
だから、春、というものが、とても、とても、いとおしく、感じてしまうのだ。
そのような、春の雰囲気に包まれた、横十間川を渡りきり、東岸へ。
少し南へ歩くと、道路の東側に日鐵NDタワーがある。
竣工は、バブルが崩壊した頃だろうか。
バブルの勢いで、建ってしまった、高層ビルの一つなのだろう。
このビルを見ていると、つい、あの当時を、思い出してしまった。
バブルが崩壊しても、バブル期、とはいわないが、その前の、安定期の頃には、いつか、戻るだろうと、楽観できたな。
景気のいい時もあれば、よくない時もある、という風に。
だが、そんなことは、なかった。
社会には、たしかに、好景気、不景気の波は、あるのだろうけど。
ただ、安定期みたいに、全員が、豊かさを享受する、なんていう時代は、もう、二度とない。
冬、来たりなば、春、遠からじ。
あの頃は、この言葉が、どんなことにも、当てはまると、素朴に感じていたなあ。
どうやら、それは、季節にだけしか、当てはまらないらしい。
今が、その季節の変わり目の真っ最中。春の到来の予感。
やはり、どうしても、心が大きく、動かされてしまう。
(2009年2月記)