都営大江戸線光が丘駅(光が丘公園)

光が丘公園

ふれあいの径を、そのまま、北へ北へと、歩いていくと、眼前に、広大な、光が丘公園が、広がる。
まさに、究極の、公共空間だな。
他にも、ここと同じぐらい、広大な公園は、あるのだろうが、光が丘公園の場合は、団地、という集合住宅と、セットになっている。
だから、この公園は、生活に密着していて、しかも、敷居が低いのだ。
光が丘の団地と、広い公園を見ていると、本当に、高度成長期に、描かれた、未来図、SFの世界、そのままのような気もする。
このような場所は、大きな公園はないけど、やはり、多摩ニュータウンぐらいしか、思い浮かばないな。
たぶん、総中流、という社会秩序の残っていた、バブルの頃だから、そういうことが、できたのだ。
今のような、公共性よりも、差別化、を重視する考えからは、広大な、公共空間を作る、という発想は、到底、生まれてこない。
生まれてくるとすれば、ゲーテッドシティ、なんだろうな。
つまり、コロニーのような、閉ざされた、空間。あるいは、整備されて、きれいだが、静まり返った空間。そういう類だ。
最近、多い、駅近くの、高層住宅も、なんだか、立体ゲーテッドシティなんじゃないかと、思えてくる。
ということで、結局、光が丘の延長上に、未来は、なかったわけだ。
光が丘は、未来への礎になれず、レトロな遺産になったのだな。
どうして、こうなってしまったんだろう。
考えても、わからない。そもそも、わかったところで、どうしようもないし。
さて、もう、戻るとしよう。
いつの間にか、すっかり、雨は、止んでいる。
ふれあいの径も、また、賑わいを取り戻すだろう。
だが、空は、まだ、どんよりとした、黒い雲に覆われている。
今日は、もう、青空は、望めそうにないな。
(2009年3月記)