有楽町線豊洲駅(豊洲運河)

豊洲運河

通りを、さらに、北東へ、進むと、豊洲運河に架かる、朝凪橋へ。
その橋からは、運河と、その運河に沿うように建っている、高層住宅を眺めることができる。
実に、風雅な、眺め、となっているが、どこの都市部も、そうなんだろうけど、あんまり、水は、きれいではない。
せめて、横浜の南、金沢八景みたいだったら、本当に、水郷、という感じなのだけど。
豊洲運河の、ちょっと、先のほうに目を向けると、小さく、橋脚が、見える。
昔は、鉄道橋だったらしい。今は、橋桁は、なく、水面に突き出ている、橋脚だけが残っているのだが。
西側にある、晴海と豊洲の間に架かる橋、春海橋の南側にも、鉄道橋の跡がある。こちらは、まだ、橋桁も残っている。
実は、豊洲運河に、架かっていた、この鉄道橋から、貨物線の線路が、春海橋の南側の鉄道橋まで伸び、晴海まで、達していた、ということだ。
昔、一帯が、工場地帯だったことの、名残だな。
その一大工場地帯が、今は、高層住宅が、林立する、一帯となっている。
隔世の感、とは、まさに、このことだろう。
そんなことを考えながら、運河の水面を眺めていると、橋の下を、小さな、貨物船が、通っていく。
鉄道の方は、なくなったが、水運の方は、まだ、機能しているらしい。だから、運河が残っているわけだ。
水郷の景観を演出するために、運河があるわけないか。
そう気付くと、なんか、ちょっと、ほっとした気分だ。
さっき、臨海副都心の、荒涼とした、風景を、見てきたので、そう感じたのかな。
それに、高層住宅を擁した、街だけなら、なんとなく、蜃気楼のような、砂上の楼閣、という風にも、思えるし。
橋の下を通り過ぎた、小さな貨物船は、そのまま、意外と、速いスピードで、離れていく。もう、昔の、鉄道橋の痕跡を、過ぎてしまったところだ。
後には、貨物船の、起こした、波が、しばらくの間、豊洲の街の岸辺に、幾重にも、打ち寄せていた。
(2009年3月記)