有楽町線豊洲駅(都営豊洲四丁目団地)

都営豊洲四丁目団地

通りを、南西側に進む。途中、東側、街中に入る。
すぐに、都営豊洲四丁目団地が広がっている一帯へ。
たぶん、高度成長期に建てられたのであろう。ずいぶんと、古い団地だ。
このように、通り一本、隔てて、近未来の高層住宅群と、昔の団地が、隣りあっている、というのは、興味深い光景だな。
その昔、この団地ができた頃、まだ、豊洲全体は、工場地帯だった。
ゆりかもめは、もちろんだが、有楽町線も、開通していなかったはずだ。
もっとも、都心に近いし、もしかしたら、住民の多くは、近くの、工場地帯に、勤めていたので、地下鉄は、いらなかったのかもしれないが。
職住近在、というわけかな。
そういえば、近くの交差点に、日本初の、コンビニが開店したんだっけ。
ちょうど、高度成長期が終わり、安定期に入る時期。
たぶん、一番近い、お客さんは、目の前の、この、都営豊洲四丁目団地と工場地帯、だったはずだ。
だけど、なんで、この時期に、豊洲で、コンビニ、なのだろう。
ひょっとしたら、その数年後、豊洲の西側、佃島の、石川島播磨重工業工場の閉鎖、というのが、関係しているのかもしれないな。
佃島に限らず、このようなことは、日本のどこでも同じだったわけだし。
つまり、高度成長期が終われば、工場は、いらなくなったのだ。
豊洲も、かつての活気は、なくなり、衰退する街だったに違いない。
だからこそ、今までにない、お店が、出現できたはずだ。
そんな、海のものとも、山のものとも、思えないお店が、活気のある街に、開店できたとは、思えないな。
時は過ぎ、やっぱり、工場地帯は、なくなる。その代わりに、その場所には、高層住宅が、林立するようになる。
これで、目出度し目出度し、な筈なんだけど。
でも、どうしてだろうか。この取り残され、忘れられた、都営豊洲四丁目団地の中にいると、なんだか、とても、癒される感じがするのだ。
その都営豊洲四丁目団地も、いつか、なくなってしまうんだろうなあ。
(2009年3月記)