半蔵門線三越前駅(日本銀行の古い建物)

日本銀行の古い建物

常盤橋を渡りきり、北東方向へ、向かう。
通りの北側には、日本銀行の、古い建物。
建物は、古色蒼然としていて、本当に、昔から、まったく、変化がないみたい。
昔から、といっても、それは、明治時代以降のことだけど。
とすると、近代国家の成立から、ということだな。
なんか、気象庁と同じような気もする。
そのことは、つまり、日本銀行も、あくまで、近代国家と不可分な、存在、ということを、示しているのだろう。
では、近代国家にとって、この日本銀行は、どのような、存在なのだろうか。
もちろん、国民経済を、成立させている、ということに、違いない。
そして、世界の、諸所の、そのような国民経済の総体が、世界経済、というわけなのだろう。
最近、喧伝されている、グローバリゼーション、というものがあっても、この、国民経済の総体が世界経済、という、枠組みは、普遍的だと思う。
むしろ、そのような、枠組みがあってこその、グローバリゼーション、なわけだ。
つまり、グローバリゼーション、というのも、結局は、各々の、国民経済にとっての、便法、なわけだし。さらに言えば、国民経済、という、物差しで、すべては、計られるわけだし。
それに、そもそも、自分にとって、国民経済の外側に、手が届く、なんてことは、まず、あり得ないのだ。
だからだろうか、この、異様に、古めかしい建物に、気圧され、畏怖してしまうのは。
まるで、天上の世界のようだな。
自分のように、国民経済の内側、すなわち、底辺にいれば、国際経済の荒波に、翻弄されるばかりだ。
(2009年4月記)