山手線新宿駅(職安通りを越える山手線高架)

職安通りを越える山手線高架

北へ少し歩き、東西に伸びる、職安通りに戻る。
職安通りを西へ。
そういえば、歌舞伎町から、北側、職安通りに向かう時は、上り坂だったな。
歌舞伎町の、中心部が、かつては、大きな窪地の底だったから、ということか。
その大きな窪地、おおくぼ、が、大久保になったわけだ。
だとすると、職安通りを歩く、ということは、その、大きな窪地の、縁を、歩いていることになるのかな。
明治時代の古い地図を見ると、今の、靖国通り、青梅街道は、もちろん、当時から、あるのだが、大きな窪地を挟んで、北側、すなわち、職安通りのある、このあたりにも、細い道が通っている。
江戸時代から、バイパスだったのだろうか。
さっき、訪れた、鬼王神社があるぐらいだから、バイパスかどうかは、別にしても、道ぐらいは、あったはずだな。
そんな職安通りをさらに、西へ進む。
北側には、有名なコリアタウン
来るたびに、勢いを、増しているように思えるのは、気のせいだろうか。
バブルの頃から増殖しているのだが、なんにしても、賑やかなことは、いいことだ。
さらに、歩いていくと、山手線、西武新宿線。職安通りは、それらの鉄路を、アンダーパスし、その先の小滝橋通りへ。最近になって、もっと先、青梅街道まで、伸びている。
いちおう、こんな風に、形ばかりは、青梅街道のバイパスには、なったみたいだが、本当に、機能的に、バイパスになると、一帯の景観は、変わってしまうのかもしれない。
今のところ、どうなるのか、わからないが。
あと、高田馬場から、山手線の東側に、沿うようにして、道路が伸びてくるみたい。
すでに、新大久保駅の手前まで、その道路は、伸びてきているのだが、いずれは、この、職安通りに、達することだろう。
そうなれば、高田馬場から、新宿まで、歩くのには、とても、便利になる。
ただ、その予定地を見ていると、昔、高田馬場から、明治通りを、新宿まで、歩いていた頃の事を、思い出してしまったなあ。
過ぎ去ったときが、今は、ただただ、懐かしいばかり。
古き良き時代は、思い出の中、記憶の中、もう、現実には、存在しないのだ。
(2009年5月記)