内房・外房線本千葉駅(千葉氏の本拠地跡)

千葉氏の本拠地跡

猪鼻は、平野に、岬のように、細長く突き出した、台地になっている。
その台地の上は、広々として平らな空間。
たぶん、最初は、尾根のようになっていのかもしれない。
千葉氏が、進出してきて、本拠地に定めたとき、整地したのかな。
ただ、千葉氏が、進出する、ずっと以前から、すでに、猪鼻には、集落などが、あったらしい。
遺跡や、古墳などが、見つかっているからだ。
さらに言えば、千葉国造がいたわけで、ということは、在地の、豪族が、最初からいた、と考えた方がいいだろう。
だが、律令制が始まり、中央集権的な、体制になると、今の市川に、国府が置かれ、猪鼻は、その統治下となる。
千葉国造のような、在地の勢力を、抑えたかったのかもしれない。
時代は下り、平安時代の終わり頃、さしもの、中央集権的な体制も崩れてきた。
そのとき、千葉氏が、登場するのだ。
なんか、地方復権の、先駆けみたいだなあ。
千葉氏は、鎌倉時代にかけて、だいぶ、意気盛んだったらしい。
でも、その後は、室町時代、戦国時代、と、戦乱にまみれて、千葉氏は、消滅してしまったのだ。
江戸時代になり、やっと、世の中も落ち着いてきたのだが、千葉は、江戸の中心地に近いためか、今度は、ばらばらの領地にされてしまう。
結局、もとの姿に戻ったのは、明治時代になってからだ。
このように見てくると、県の名前に、千葉、と付けたのには、歴史的に、いろいろな意味があったわけだな。
高度成長期の頃、あったはずのない、ニセの天守閣を作ってしまう、というのも、わかる気がする。
もっとも、今の千葉は、千葉市政令指定都市になったりして、発展を続けているようだし。
そんな心配こそ、千葉の部外者の、大きなお世話、かもしれないな。
(2009年5月記)