中央線御茶ノ水駅(御茶ノ水聖橋)

御茶ノ水聖橋

東京医科歯科大学の南側には、東西に伸びる、外堀通りがある。
その外堀通りを東へ。
しばらく歩くと、重厚そうでいながら、とても優美な姿をした、アーチ橋の下に着く。
これが、有名な聖橋らしい。
といっても、自分は、たいてい、西側の、御茶ノ水橋の方しか行かないので、あまり、聖橋には、馴染みがないんだけど。
そんな聖橋なのだが、完成したのは、昭和の初め。都心、郊外、という、今に到る、都市空間が、誕生し始めた時代だ。
つまり、都心と郊外、という新しい枠組みが、その頃できた、ということだな。
それ以前は、文京山の手などの山の手があって、そして、その東側に下町が広がっている、それだけだったのだが。
そういうことで、都心、郊外、という枠組みができるのだが、やはり、その中にも、山の手、下町、があったりする。
例えば、郊外には、田園調布、という新しい山の手が生まれたした。
だが、逆に、文京山の手には、こうした、巨大な、橋ができたりして、都心の機能を担った、建造物が、登場したようだ。
ところで、聖橋、とは、うまく名付けたものだが、どんな、謂れがあるのだろうか。
橋の北側にある湯島聖堂と、南側にあるニコライ聖堂、から、「聖」の字をとったのだろうけど。
ただ、この「聖」を、聖、俗、という関係性から考えると、山の手の「聖」、下町の「俗」、という風にも見える。
もし、聖橋が、もっと、特別な意味を持っているとしたら、「聖」なる、文京山の手が、この流麗な橋をもって、対岸へ、そして、郊外へと、溢れ出したから、ということなのかもしれない。
だとすると、自分が、聖橋に、馴染みがないのは、そこに、文京山の手の雰囲気がするから、ということになるのかな。
本当は、どうだか、わからないけど
(2009年5月記)