中央線御茶ノ水駅(神田明神鳥居)

神田明神鳥居

湯島聖堂東京医科歯科大学の間の通りを北へ。
東西に伸びる本郷通りに出る。
本郷通りに入り、東へ歩く。
しばらくすると、北側に、神田明神の鳥居。
神田明神、といえば、江戸の街の総鎮守だ。
そして、さらに言えば、平将門を祀ってある、ということでも、有名だな。
江戸時代、実質的には、江戸の街が、日本の中心だったので、関東に独立国を建てた、平将門が、とても人気があったのは、当然だろう。
だが、江戸時代が終わり、明治時代になると、今度は、逆に、平将門は、祭神から外されてしまう。
独立国を作った、ということは、反乱なわけだから、これも、当然かもしれない。
今から見ると、意外なのだが、実際は、そうだったのだ。
ところで、自分が、平将門、ということで、覚えているのは、なんといっても、NHK大河ドラマ、「風と雲と虹と」だ。
ただ、あの当時、平将門を、NHK大河ドラマで取り上げることについて、ちょっと、神経質な空気があったことも、記憶している。
たぶん、高度成長期が終わって、世の中が落ち着いてきたので、放送へ漕ぎ付けた、ということなのかもしれない。
そういうこともあるかどうか、わからないけど、「風と雲と虹と」には、とにかく、自由な、開放的な、雰囲気が溢れていた。それで、よく、覚えているのだ。
たしか、こんなシーンがあったな。
平将門が、ある方向を指して、軍を進発させる。軍は、もちろん、その方向、目指して、進軍するのだが、なぜか、大回りして、急いで、元の位置に戻ってくる。
平将門は、今度は別の方を指す。すると、やはり、軍は、そちらの方へ。だが、また、大回りして、元の位置に戻る。
それを、何度も、繰り返しているのだ。
この様子を、こっそり見ていた、朝廷軍は、あたかも、平将門が、四方八方に、軍を出陣させている、と勘違いして、恐れ入ってしまう。
少ない手勢を、大軍に、見せかけていた、という、シーンなのだが。
史実とは、思えないけど、こんな反乱が、通用してしまう、というところに、あの当時の、世の中の、平穏さが感じられるなあ。
その後、平将門は、バブル直前に、再び、祭神に迎えられるのだ。
また、同じ頃、平将門を扱った、帝都物語、なんて小説が、流行ったっけ。
だけど、そんな平穏な時代は、格差社会の到来と共に、なくなってしまった。
今の時代、平将門なら、どう思っているんだろう。ちょっと、気になる。
(2009年5月記)