中央線御茶ノ水駅(銭形平次の碑)

銭形平次の碑

鳥居をくぐり、参道を歩いていく。
やがて、眼前に、華やかで、華麗な、隨神門。
門を通れば、神田明神の境内だ。
以前、何回か、訪れたことがあるけど、他の神社に比べて、神田明神は、とても、華やいだ雰囲気がする。
江戸の街の総鎮守、だからだろうか。
ただ、境内を歩き回っていると、今回は、そんな中にも、ちょっと、緊迫した空気が漂っていたが。
そういえば、神田祭りが近いのだったな。
そんな祭りを控えた境内を、ぐるっと、回っていると、銭形平次の碑、というのがある。初めて、来たときは、銭形平次の碑に、感動したものだ。
銭形平次は、神田明神下、に住んでいることになっていたので、それで、碑があるわけだけど。
ちなみに、現在、神田明神下交差点、というのがあって、その交差点は、神田明神の南側の本郷通りを東に行くと、秋葉原電気街の手前にある。
たぶん、そのあたりに、住んでいたのだろう。(実在はしないのだが)
銭形平次、というと、自分が、子供の頃から、テレビ時代劇で、果てしなく、やっていたなあ。
特に、自分から、見ていたわけではないが、本当に、生活の一風景になっていたように思う。
実際の放映時期は、高度成長期から始まって、バブル直前まで、ということだ。
ところで、このテレビ時代劇「銭形平次」の、どこに、こんなにも、魅力があるのだろうか。
今でも、自分が、よく覚えているのは、派手な立ち回りや、見事な推理、といったものではなくて、事件が持ち込まれる前と、事件が解決した後の、実に、のんぶりした、安穏な、夫婦水入らずの、生活ぶりだ。
あたかも、事件の解決は、銭形平次と女房、お静との、穏やかな暮らしをも、もたらしているように思える。
そして、やはり、武器としての銭だな。
銭を、武器、として、使用している、ということは、銭形平次は、貨幣経済の中に、いないんじゃないか、と考えてしまう。
もっとも、だからこそ、私利私欲に駆られた、事件を解決できるのだろうが。
つまり、銭形平次の世界では、事件さえなければ、欲得とは関わりない、慎ましやかだが、安穏な生活があるわけだ。
これが、銭形平次の時代劇の魅力なのかもしれない。
さらに言えば、これが、番組が始まった頃、高度成長期の、夢の未来、の一つだったのかな。
だが、そんな未来は消え去り、今は、格差社会。欲得ばかりが、まかり通る。銭も、勝ち組への方途でしかないのだ。
どうしてこうなってしまったのか、わからない。でも、どうしようもないな。
(2009年5月記)