中央線御茶ノ水駅(神田明神裏参道)

神田明神裏参道

本殿の裏側に回り込むと、秘密の抜け道みたいな、下りの階段がある。
神社にあるような、石段ではなく、普通のビルにあるような、コンクリ製の階段だ。
いちおう、神田明神裏参道、となっている。
だが、コンクリで固められて、人工的になってはいるが、江戸情緒を、損なっているわけでもない。
そのような裏参道の階段を降りているとき、ふと、では、その江戸情緒、というのは、結局、なんだろう、と考えてしまう。
江戸情緒、というのは、下町情緒、とも言われているが、そこら辺が、この考えの糸口かもしれない。
もちろん、この場合の、下町は、現在のような、山の手、下町、という意味での下町ではなく、江戸時代の、城下町、の「城」の次に続く「下町」、の下町だ。
つまり、御城のお膝元、という意味なのだろう。
例えば、銭形平次の十手は、お上からの、預かり物、ということになっている。(武器兼身分証明書みたいなものだが、史実ではないらしい)
この、お上、というのは、もちろん、御城のことだ。
ただ、御城、といっても、具体的な建物、ということではないように思う。
たぶん、その昔、御城を舞台として、繰り広げられた、戦乱の世の、神話的、英雄譚のことを暗喩しているに違いない。
そして、その英雄譚を担った主役こそは、武士である。
この場合の、武士とは、儚く、刹那的なまでに、戦乱の中に、ヒロイズムを、追い求めた、もののふ、ということだ。
戦乱が、なければ、彼らは、別の、儚い、ヒロイズムを求めて、傾奇(かぶき)者、になったらしい。
その刹那的なヒロイズムが、十手に、乗り移っていた、と考えた方が、いいと思う。
だからこそ、銭を、武器に使ったのだ。
そう考えると、例えば、「遠山の金さん」の、遊び人の金さん(かぶき者)、と、遠山金四郎(武士)が、同一人物、というのも理解できるし、また、忠臣蔵が、人気なのも、このヒロイズムのため、といえる。
そういえば、神田明神の祭神、平将門は、この、儚い、ヒロイズムの、典型、なのに違いない。
江戸情緒と、神田明神が、密接に、結びついている、というのもわかるな。
(2009年5月記)