中央線御茶ノ水駅(妻恋神社)

妻恋神社

神田明神の北側を、東西に伸びる、蔵前橋通りに出て、西へ歩く。
交差点を北に曲がり、すぐに、細い道を東へ。静かな住宅街が広がっている。
その細い通りの北側には、妻恋神社。銭形平次とお静の、おしどり夫婦ぶりを、思わせる、名前の神社だ。
ただ、おそらく、「妻恋」とは、雉を妻恋鳥、と呼ぶので、「雉」のことだと思う。
つまり、もとは、雉子神社、だったのかもしれない。
雉子神社、といえば、五反田にも、あったな。
もっとも、伝説などで、雉が、どういう、意味を持つのか、わからないけど。
ひょっとすると、雉も、鳥、ということで、大鳥神社、ということだろうか。
そういえば、妻恋神社の真東に、鳥越神社、という、有名な神社がある。
鳥越神社も、大鳥神社の系列なので、なにか、関係があるのかもしれないな。
例えば、この地には、もともと、鳥を神格化している、住民がいた。
ところが、律令制により、中央に、組み込まれてしまう。
そのとき、在地の鳥信仰も、日本武尊の白鳥伝説の部品として、中央の神話に組み込まれてしまったのだ。
それが、妻恋神社や、鳥越神社、といった、大鳥神社系統の神社の創建につながり、今に、到っている。
というような、歴史の流れが、あったのかも。
もっとも、実際、大昔のことは、結局、わからない。
間違いない事は、江戸時代より前は、妻恋神社のある、文京山の手の台地と、鳥越神社がある、小さな丘陵地以外は、あたり一帯、すべて、湿地帯だった、ということだな。
平安時代の、国府は、ここから、ずっと離れた、内陸の、今の、府中に、あったわけだし。
辺鄙な場所ではあっても、けっして、開かれた場所では、なかったに違いない。
ようやく、江戸時代になってから、街ができて、賑やかになったのだ。
そして、そのとき、相応の、「妻恋」、という神話が、付与されたのだろう。
でも、それはそれで、いいのかもしれないな。
(2009年5月記)