山手線新宿駅(代々木第三児童遊園地)

代々木第三児童遊園地

甲州街道から、再び、玉川上水の跡地は、離れるていくのだが、そこから、今度は、代々木第三児童遊園地、となる。
また、細長い公園が続いていく。
細長い公園が終わると、その先には、道路が伸びている。
あおい通り、という名前の通りだ。葵橋が架かっていたので、あおい通り、というらしい。
その、葵橋の名前については、江戸時代、近くに、紀州徳川家下屋敷があったので、徳川家の御紋、葵(あおい)から、付けられた、ということだ。
ただ、紀州徳川家下屋敷の場所は、今の千駄ヶ谷なので、あまり、近いとはいえないけど。
たぶん、紀州徳川家下屋敷へ通じる橋、ということなのかな。ちょっと、わからない。
そんな、あおい通りを歩きながら、あたりを見回すと、もう新宿駅に近いので、ビルの裏側、というよりも、飲食店街の裏側、という感じだ。
どんどん進んでいくと、南北に伸びる通りに、行き当たり、ようやく、玉川上水跡地は、終わることとなる。
この場所に、葵橋が架かっていたのだが、玉川上水がなくなった後も、最近まで、橋の欄干だけは、残っていたらしい。
今では、欄干もなくなり、杭のような石碑が、立っているだけ。
その石碑についてだが、後日、昔の街並み写真集を、また、パラパラと、繰っていたら、葵橋と思われる橋の写真があり、よく見てみると、その石碑、今はない、葵橋の、欄干柱そっくりではないか。
なるほど、この石碑は、葵橋の欄干柱を模したものに違いない。
ついでだが、昔の葵橋の写真の中、橋の近くに、ゴミ用のポリバケツが、置いてあって、そのバケツに「鳥茂」、と書いてある。
この鳥茂、というのは、たぶん、今も近くにある、老舗の焼鳥屋のことだろう。
こんな風に、昔の写真を、注意深く見ていると、かすかに、今を、思わせるものも、なくはないな。
だけど、老舗の焼鳥屋のゴミ用ポリバケツ(今も使用しているとは思えないけど)以外は、すべて、なくなってしまったみたい。
時代の流れ、というのは、こういうことなのだな。
だとすると、何十年も経てば、今、あるもの、すべてが、変わってしまっている、ということだ。
もっとも、どんな風に、変わったか、自分は、それを、見届けることはないかもしれない。
結局、自分も、時代の流れの一部、なわけだから。
(2009年5月記)