千代田線赤坂駅(赤坂一ツ木通り)

赤坂一ツ木通り

再び、一ツ木通りに出て、北へと向かう。
昔は、さぞかし、繁華な通りだったのだろうな。今は、閑散としているが。
通りの両脇には、丸太が、ぽつんぽつんと、並んで、立っている。
照明器具が付いているので、夜は、それなりに、夜景を彩っているのだろうが、今は、まるで、立ち枯れた木にしか見えない。
たぶん、本物の、並木にするわけには、いかないけど、いちおう、「一ツ木」、ということで、丸太を立ててみたのかな。
ところで、「一ツ木」、という通りの名前についてだが、もとは、「人継(ひとつぎ)」、という地名からきていたらしい。
その「人継」という言葉は、おそらく、宿場町の「人馬継立」、からだろう。
「人馬継立」とは、ある宿場町から、次の宿場町まで、物資を、輸送する、仕組みのようなものらしいのだが。
ただ、この地名が、生まれたのは、江戸時代の前、まだ、北条氏が、全盛期の頃。
だから、職場町、というものは、登場していなかったのだ。
さらに言えば、ちょうどその頃は、北条氏が、房総半島まで進出し、安房氏と、激しく、争っていた時期になる。
とすると、ひょっとしたら、小田原から、陸路、房総半島まで、物資を、輸送するとして、この場所は、その、重要な、中継地点だったのかもしれないな。
つまり、宿場町よりも、人馬継立、の方が、先に、登場していたのだ。
江戸時代になると、その必要性もなくなったし、そもそも、北条氏もいなくなったので、地名は、「人継」から「一ツ木」に、変えられている。
その「一ツ木」は、ずっと、後の世、有名な繁華街となり、そして、今は、閑散としている、というわけだ。
時代の流れを、感じるなあ。
(2009年6月記)