埼京線板橋駅(滝野川桜通り)

滝野川桜通り

明治通りを、北へ進む。
下り勾配が、なんとなく、川へ向かっている、という感じを、起こさせる。
しばらく、歩いていくと、北西に伸びる、道路。
滝野川桜通り、という通りだ。
この通りが、谷端川の跡、ということになる。
ただ、滝野川、というのは、さらに北側を、練馬から王子に流れる、石神井川の、別名なのだが。
なぜ、滝野川の名前が付いているのか、ちょっと、わからない。
単純に、勘違いしただけなのかもしれないけど。
あるいは、昔は、川の流路が、入り乱れていて、定まらなかった、ということかも。
つまり、増水があるたび、流れが変わり、ひょっとしたら、石神井川と、合わさっていたことが、あったかもしれない。
このように、谷端川は、淀みながら、あちこちに、池を作り、湿地帯を作りながら、流れていたらしい。
そういえば、大塚の駅周辺も、かつては、湿地帯だったな。
ところで、話は、変わるけど、「巣鴨」、の語源について考えてみる。
そのような、湿地帯に繁茂していたりする、昔の呼び方で、須我毛(すがも)、あるいは、管藻(すがも)なる、植物があるのだが、それが、巣鴨(すがも)、と、大いに関係がありそうだ。
現在の名前は、ゴウソ(かやつりぐさ科)、漢字では、「郷麻」、という。
「麻」、とは、関係ない種類だが、たぶん、麻のように、繊維が採れたから、そのような、名前を付けたのだろう。
その、ゴウソ、が、今の、大塚駅周辺にあった、湿地帯に、生えていたのかもしれない。そして、そこから、繊維を採取していたのかもしれない。
その植物の、昔の名前が、「すがも」、だから、地名も、「すがも」になり、神社が、建立されれば、巣鴨の総鎮守に、なったわけだ。
植物の名前が、そのまま、地名に、なるものかどうか、ちょっと、疑問な気もするが。
このような、推理、正鵠を得ているかどうか、わからないけど。
わかっているのは、大昔、このあたりが、沼沢地だった、ということかな。
今、まわりを見渡しても、想像が付かない。
歴史の流れを感じる。
(2009年6月記)