東武東上線下板橋駅(谷端川北緑道池袋本町付近)

谷端川北緑道池袋本町付近

下板橋駅を過ぎても、緑道は、まだまだ、続いている。
さらに、西へと歩く。
南側一帯は、池袋本町。
町名からも、察せられるのだが、池袋発祥の地、ということらしい。
実際、明治時代の地図を見ると、今の、池袋駅周辺は、雑司が谷、といったほうが、近いように思える。
ところで、池袋本町が、池袋の元祖だとして、では、池袋の地名の所以は、どういうものだろうか。
今、歩いている緑道、谷端川が、大きく関わっていたようだ。
谷端川は、池袋の西側を、北へと、流れ、板橋の南側で、カーブを描き、今度は、南へと向きを、変える。そして、大塚駅あたりを、通過していく。
その湾曲した、内側に、池、あるいは、沼沢地があったらしいのだ。
もしかすると、もともと、大きな沼があって、そこを埋め立て、排水路を外側に、付けたのが、谷端川、とも考えられるが、わからない。
どちらでもいいが、つまり、川が、ぐるりと、まわりを、流れ、袋小路、のようになっている。そこに、池があったので、「池袋」、というところかな。(地形図を見ると、湾曲部の内側は、高台になっている。池があったとすると、川辺なのだろうか。やはり、真ん中なのだろう。ちょっと、わからない)
命名には、もう、一捻りぐらいの、紆余曲折は、あったかもしれないけど。
ただ、池袋本町の方を、見やると、いかにも、かつて、湿地帯だった、という、じめじめした、雰囲気がするのも、確かだ。
もっとも、現在の池袋、この、じめじめした、池袋本町よりも、雑司が谷や、目白の方と、繋がりたがっているように、思えてしかたがない。
いけふくろうは、雑司が谷鬼子母神、ススキみみずく、を思わせるし。)
だから、池袋本町は、忘れ去られ、時代に、取り残された場所、という感じがするのかな。
でも、自分にとっては、むしろ、こちらの方が、ほっとするような気がする。
それは、自分も、今や、すっかり、時代に取り残されてしまった、ということか。
そういうことかもしれない。
(2009年6月記)