京成金町線柴又駅(帝釈天参道へ到る商店街)

帝釈天参道へ到る商店街

小さな駅前広場を出て、細い商店街へ。
道なりに、東へと、歩いていく。
この前、来たときは、たしか、駅前に、立ち食いのそば屋があって、そこで、食事したように記憶しているが。
今は、土産物屋さんしか、見当たらないな。
帝釈天の参道は、もうすぐ。すでに、まわりは、参道、という雰囲気だけど。
たしか、「男はつらいよ」では、早朝、柴又駅、改札口からホームへ向かう、さくらさんの出勤のシーンがある。
さくらさんは、通勤のため、毎日、この道を歩いていたわけか。
今まで、さんざん、京成金町線は、通勤路線ではなく、ローカル路線であり、観光路線、と書いてきたが、これでは、怒られそうだ。
ところで、彼女は、どんな仕事をしていたのだろう。
丸の内の大手電気メーカーらしき会社の本社で、キーパンチャー、という仕事をしていたようだ。
でも、キーパンチャーって、どんな、作業なのかな。
教科書的なことは、ちょっと、知っているけど。
簡単に言えば、パンチカードという紙に、穿孔する作業で、開けた孔の位置、数が、データを表している。そして、その穿孔済みパンチカードのデータを、大型コンピューターに読み取らせるのだ。
高度成長期の頃は、そうやって、データをコンピューターに入力し、集計していたのだろう。
ただ、自分は、そのような作業や、パンチカードの実物も、見たことはない。かろうじて、同じような仕組みの、入力用紙テープを、一度、見たことがあるくらいだな。
そういうわけで、当時のキーパンチャー、という仕事が、どのようなものか、わからない。
でも、伝え聞いた話などから、類推はできる。以下は、いちおう、類推の域として、と断っておく。
キーパンチャー、という作業は、かなり、単調で、根気のいる、過酷な作業だったらしい。
当時から、連続作業時間や作業量が、制限されているのも、そのためだが。
また、丸の内の本社に勤務、といっても、その時代、ネットワークなんて、ないわけだから、データの入力作業は、大型コンピューターのすぐ近くで行わなければならない、丸の内勤務は、そういう理由によるものだろう。
実際、仕事中のシーンが、ちょっと、出てくるけど、あまり、華やかな、雰囲気はない。むしろ、とても地味な感じだ。
こうして見ると、丸の内でキーパンチャー、というのは、今のOL、とは、かなり、様相が、違うように、思える。寅さんが、最初に、間違えた、紡績工場の女工、の方が、実情は、近いかもしれない。
おいちゃんとおばちゃん、丸の内、ということで、すっかり、舞い上がっているけど、寅さんの方が、的を得ていたわけだ。
さくらさんも、たぶん、商業高校で勉強して、晴れて、丸の内に通勤、ということで、最初は、白馬の王子様、玉の輿、なんて、メルヘンを夢見たかもしれないな。
だが、現実は、ひたすら、地味な作業だったわけだ。
とすると、最初に登場する、さくらさんの、お見合い、というのは、かなり、背伸びをした、破格の組み合わせだっただろう。
相手方が、会社の下請け、云々、というのも、何か、上司である部長さんが、身寄りのない、さくらさんのために、強引に、セッティングしたような感じもする。(キーパンチャーなのに、春の人事異動で、各課が、さくらさんを奪い合う、という部長さんの話、基本的にあり得ない。座を盛り上げるための、リップサービスだろう)
さくらさんが、あまり、乗り気でなかったのは、そのためだな。
そう考えると、寅さんが、ぶち壊さなくても、このお見合い、うまくいったかどうか、かなり、微妙だったと思う。
寅さんも、それなりに、場を盛り上げるため、むしろ、とても、頑張っていたように見える。夜、べろべろに酔っ払って、帰ってきたとき、「大成功」、と報告していたのは、本心だったに違いない。
だから、お見合いが破談になったことがわかって、おいちゃんとおばちゃんが、寅さんを咎め、責め立てるシーンは、本当に、切なくて、なんとも言えない程に悲しい。
そこにあるのは、誰が正しくなくて、誰の責任か、なんて、そんな簡単には、割り切れない、現実が、横たわっているからだ。
でも、さくらさんは、この、昔と変わらぬ、寅さんと、寅さんを取り巻く、騒ぎを見て、気付いたことがあったのかもしれない。
つまり、白馬にまたがった王子様、玉の輿、ということで、家を出ることが、実は、寅さんが、出奔したときに、抱いていた気持ちと、まったく同じだ、ということを。
騒ぎが収まったとき、さくらさんの、ほっとした、笑顔は、そのような現実を、受け止めることができて、少し、肩の荷が下りたからかな。
(2009年6月記)