京成金町線柴又駅(柴又の料亭川甚)

柴又の料亭川甚

帝釈天が安置されている、題経寺の手前で、北へ。
すぐに、東西に伸びる通りに、行き当たる。
その通りに入り、東へと歩いていく。
ほどなくして、江戸川の手前、料亭の川甚が現れる。
前回、柴又に来たときも、見かけたのだが。
なんか、細長い建物だな、と思ったけど。あとで、地図を見たら、南側にも、川甚の敷地が広がっているみたい。
創業は、江戸時代。柴又、といえば、川甚、というぐらいの、かなり有名な老舗の料亭だ。
そういうわけかどうかわからないが、博さんとさくらさんは、ここで、結婚式を挙げている。
映画の中だけの話ではなく、実際、この料亭では、婚礼から披露宴まで、受け付けているらしいが、利用者は、多いのかな。
ところで、博さんとさくらさんの結婚式は、やはり、六月、なのだろうな。
細かいことは、わからないけど。
ここで、ちょっと、話はずれるけど、「男はつらいよ」の中の日取りを、特定するのも、一興かと思う。
まず、寅さんが、矢切の渡しで現れたのは、桜の咲いている春。さらに言えば、庚申の縁日の日だ。
最近は、こうした、イベントは、土日にやったりするのだが、今でも、帝釈天の縁日は、平日でも、庚申の日にやっている。
ということは、映画の封切りされた年、1969年、と、考えると、1969年4月の庚申の日は、15日らしい(調べるすべが、ないので、そうらしい、としか言えないけど)ので、寅さんが、柴又に帰ってきたのは、1969年4月15日、ということになる。
1969年4月15日、だとすると、火曜日だ。江戸川の河川敷で、ゴルフをやっていたりするが、休日は、もっと混んでいるから、やはり、火曜日、なのかな。
その次は、さくらさんのお見合いなのだが、お見合いは、当然、日曜日、なんだろうから、その週明けの、4月20日、ということだ。
おいちゃんが、二日酔いで、お見合いに付いていけなくなっていたのも、前日が、土曜日で、何かの付き合いがあったに違いない。
その間、寅さんは、さくらさんのお見合いの件については、まったく、知らなかったようなので、何かの用事で、帰ってきて早々に、留守にしていたとしか思えない。
的屋稼業、というのが、どのような、組織になっているのか、わからないが、たぶん、挨拶回りみたいなことが、あるのかも。
舎弟の登さんと会ったのが、巣鴨、ということは、巣鴨とげぬき地蔵の縁日が、毎月4の付く日、なので、4月24日、木曜日だ。この日、さくらさんは、会社で、部長さんから、お見合いが破談になったことを、伝えられているので、妥当かな。
その夜、このお見合いの破談を巡って、寅さんと騒動になり、翌日、責任を感じて、寅さん、家を出てしまうのだ。
だが、一ヶ月で、御前様、冬子さんに、くっ付いて、寅さんは、戻ってくる。
一ヶ月、ということは、五月の下旬ぐらい、なんだろうけど、手掛かりがないので、それ以上は、わからない。
あるとすれば、博さんと寅さんの決闘騒ぎ、実際は、博さんが寅さんに、さくらさんとの仲を取り持ってもらうよう、頼んだのだが。この日は、博さんも、彼の同僚も、普段着なので、日曜日なのだろう。ということは、5月18日、25日、かな。
その週の間に、博さんからの依頼で、寅さんは、さくらさんの勤めている会社に出向いている。
そして、その日の夜、博さんとさくらさんは、目出度く、結ばれるのだ。
いよいよ、結婚式。最初は、六月かと思ったが、いくらなんでも、早過ぎかも。
やはり、七月、だろうなあ。
結婚式、というと、大安。その翌日(数日後)に、寅さんが、冬子さんに呼ばれて、題経寺に行っているのだが、その時、梅雨明けを思わせるような、雷の天気だった。
とすると、7月19日土曜日か7月25日金曜日あたりか。ただ、気になるのは、博さんの勤めている印刷会社の社長さん、手形がどうのこうので、遅刻しそうになっている。
手形の決済、というのは、土曜日でもできたかどうか、わからないな。
博さんとさくらさんは、結婚式の後、新婚旅行に行くわけだが、あの当時、新婚旅行って、どのくらいの期間だったのだろう。
長いか短いか、わからないのだが、たしかなのは、その間、毎日のように、寅さんは、冬子さんのもとに通っている、ということ。
噂がたったぐらいだから、短い期間ではないだろう。
そのことから察するに、7月19日土曜日、結婚式、と考えて、新婚旅行から帰ってきたのは、翌週、7月26日土曜日か。
その翌日、7月27日日曜日に、冬子さんは婚約者を呼んでいる。
そこに、約束通り、やってきた寅さん。
その場に出くわしてしまうが、すべてを、承知する。そして、その日のうちに、また、旅に出るのだった。
もっとも、寅さんの稼業、的屋は、8月のお盆と年の瀬が、一番、忙しいらしいので、すでに、出立の準備や、心構えは、できていたのかもしれないけど。
こうして、時系列的に見ていくと、寅さんが、故郷、柴又に、滞在していた期間が、短かくて、意外に思ったりもする。
寅さんは、故郷を求めて、帰ってくるのだが、案外、故郷も、寅さんを、必要としていたのかもしれない。
だから、強い印象と、忘れがたい思い出を残したのだろうか。
(2009年6月記)