常磐線亀有駅(亀有駅南口お祭り両さん像)

亀有駅南口お祭り両さん像

南口駅前広場の西端には、お祭り両さんの像がある。
お祭り、と言えば、両さん、なのかな。
寅さんかと思ったが、そういう時代では、ないのかもしれない。
もっとも、両さんは、ただ、お祭りを楽しんでいるだけだし、寅さんも、的屋、ということで、お祭りに関わっているだけだが。
両者とも、地域のお祭りを、取り仕切っているわけではない。
そういう点は、かろうじて、同じなわけか。
でも、寅さんを見て、なんで、両さんを連想したのだろう。
そもそも、寅さんの後継者が、両さん、であるわけもないし、特に、似ているわけでもないし。
だが、今回、柴又の寅さんの地を訪れた後は、亀有の両さん、という流れが、自然にできていたのだ。
ところで、両さんの登場は、高度成長期が終わって、安定期に入った頃だが、その強烈な印象は、今でも、よく覚えている。
絵のタッチなど、現在の両さんとは、まったく別物だが、存在感自体は、変わっていない、と思うのだが。
このマンガを初めて見て、まず、驚いたのが、両さんは、設定が、警察官なのだが、まったく、その職務を、果たしていない、ということだ。
職務を果たしていないけど、制服を着て、拳銃を持って、交番にいれば、警察官なのだろう。(ちなみに、この作品に影響を与えたらしい、こまわり君は、逆に、警察官とは思えない姿、言動なのだが、いちおう、職務を果たそうとしていたように記憶している)
しかも、絵が、デフォルメされていず、劇画調なので、リアル。これでもかというぐらい、警察官を表現しつくしている。
なのに、警察官の仕事を、まったく、やっていない。
では、何をやっているのか、というと、ひたすら、自分の好きなこと、興味のあることしか、やっていないのである。
仕事道具である、拳銃も、好き放題に撃ちまくるし、ガンマニア的な興味の対象でしかない。
天才バカボンのお巡りさんも、やたらと、発砲するけど、いちおう、威嚇射撃だ。
両さんの場合、やたらと発砲しても、その射撃は、威嚇射撃ですらない。
つまり、両さんは、格好だけ警察官で、後は、ひたすら、好きなことをしている。
これが、パン屋さんや、あるいは、サラリーマンなら、あり得るのだろうか。
実は、あり得るような気がするな。
ようするに、パン屋さんなら、最低限、パンだけ焼いて、後は、ひたすら、好きなことをやっていれば、両さんなのだ。
サラリーマンだとしても、同じ。
つまり、このマンガによると、職柄は、二の次、三の次、好きなこと、趣味的なこと、が第一であり、それが、アイデンティティを決定する、というわけだ。
そういう両さん的な世界が、高度成長期を達成した後、安定期からの時代、というものかもしれないな。
(2009年6月記)