りんかい線国際展示場駅(三沢光晴選手を悼む弔問の列)

三沢光晴選手を悼む弔問の列

有明コロシアムの北側の道路を東へ歩いていくと、ゆりかもめの手前あたり、長蛇の列ができている。
さるプロレス団体が、主催した、お別れの会のためにできた、弔問の列だ。
もっとも、プロレスについては、実は、よくわからない。
深夜に、たまに、テレビに映っているのを、見るぐらいだったな。
そのとき、いつも、出ていたのが、三沢光晴選手なのだが。
ただ、そのためだけに、自分が、この場に、やって来た、というわけでもない。
心が折れそうになることが起こったのだ。
始まりは、忌野清志郎、だったろうか。
忌野清志郎の、突然の訃報の衝撃が、まだ、残っている中、今度は、栗本薫
さらに、三沢光晴
最後の止めが、マイケルジャクソン。
自分と年齢が近しい、オピニオンリーダーが、こうまで、相次いで、鬼籍に入ってしまうとは。
正直、かなり、打ちのめされてしまったな。
そういうわけで、いてもたってもいられず、どうしても、この4名のうち、誰でもいいから、このような、催しに、参加したかったのだ。
それにしても、この、粛々と進む、重々しい雰囲気の、行列を見て、彼らが、背負ってきた、時代の重さを、改めて感じる、というのは、本当に、悲しい。
そういえば、マイケルジャクソンのコンサートに行ったんだった。たしか、東京ドームだったかな。
当たり前だけど、あの頃は、こんな風な、終わりが来るとは、考えても見なかった。
今は、もう、皆、天に召されてしまって、この世にはいない。
マイケルジャクソンは、エモーショナルなものを、音楽に表現する、天才だったのだろうなあ。
ただ、皆が、賞賛するのは、その、表現だけ。その、源になった、エモーショナルな部分は、誰も、見向きもしなったのかな。
だから、表現すればするほど、孤独になっていったのかもしれない。
なんて、今さら、考えてみても、彼は、もう、いないのだ。
時代は、動いていく。たぶん、ずっとこの先、どこまでも。
だが、人生には、かくのごとく、終わりがある。
そんなことは、判りきってるんだけど。
時に、その現実の前で、狼狽し、うろたえてしまうことがあるのだ。
今が、そんな時かな。
(2009年7月記)