有楽町線月島駅(佃川支川船溜まり)

佃川支川船溜まり

佃島の北側と東側には、かろうじて、佃川支川があって、かつて、佃が、島だったことを偲ばせている。
さらに、さっき、歩いてきた道路には、佃川が、あったようだ。
ということは、佃島の四囲は、川だったわけである。
だが、明治時代の地図を見ると、佃島の南側は、すぐ、海、となっている。
だから、佃川、というのは、佃島の南側を、埋めた後、埋め残した、水路のような、部分だったのかもしれない。普通の川ではないようだ。
それに、そもそも、佃島は、島なわけで、四囲に水があるのは、当たり前だな。
今は、埋め立てが進んで、もう、島、という感じは、まったく、しないけど。
ところで、佃島、といえば、最も、有名なのは、佃煮だろう。
余った魚を煮しめて、保存食にしていたのだが、これが、案外、美味しかった、というのが、ことの起こりのようだ。
そういえば、両さんの実家は、佃煮屋さんだったな。
でも、たしか、実家の場所は、浅草だったはず。佃島とは、関係ない場所だな。
実は、佃煮発祥には、もう一つの説があるのだ。
今の浅草橋にある、鮒佐、というお店が、最初に、佃煮を開発したらしい、という説。たぶん、両さんの実家、佃煮屋さんが、浅草にあるのも、この、浅草橋の鮒佐から、連想したのだろうと思う。
つまり、こういうことだろうか。
佃煮の最初のレシピは、たしかに、佃島にあったのだろうが、そのレシピを、改良し、商品にまで仕上げたのが、鮒佐、だったのかもしれない。
もっとも、どっちが、発祥の地だとしても、特に、佃煮に思い入れがあるわけでもないので、どうでもいいのだが。
佃島テーマパークのお土産品には、なるだろうけど。
(2009年7月記)