中央線武蔵小金井駅(武蔵小金井駅北口の商店街)

武蔵小金井駅北口の商店街

小金井街道の踏切を渡って、武蔵小金井駅北口へ。
今は、上り線が高架になり、地平の線路は、下り線だけになっているので、開かずの踏切、ということではなくなっている。
と思ったら、まだ、駅に近い踏切なので、入線してくる列車が、手前で、徐行しなければならず、踏切が閉まっている時間は、やはり、長い。
この時も、ちょうど、それに出くわしてしまったが。
ようやく、北口駅前広場へ。
駅前広場の北側には、商店が密集している一帯。
一見して、郊外の真新しいショッピングセンターでもなければ、創業云年の老舗の店が連なっているわけでもなく、庶民的な感じだ。
ちょっと、その中に入ってみる。
こういう、何でもない、商店街が、一番、いいなあ。居心地いいし。
どこにでもありそうな、飲食店、遊戯施設、喫茶店
地方都市にありそうな、一時代前のデパート。さらに、あまり、賑わっていそうにないスーパー。何年も前から、変わらない、お店の数々。
ようするに、近所の買物の延長なのかな。これなら、敷居なんて、全然高くないはずだな。
だが、こういう場所は、たぶん、この先、なくなっていく運命なのだろう。
中央線が高架化され、駅前も一新。地元密着型の商業地は、必要なくなるのだ。
時代の流れなので、仕方がないが、ちょっと、残念な気がする。
ところで、話は変わるが、小金井の地名の由来についてだが。
いったい、どんな所以があるのだろうか。
中央線の南側は、東西に伸びる、崖地になっており、そんな場所には、湧き水が出やすい。
あちこちの湧き水のうちの一つが、金(こがね)井、という名前だったのだろう。
もっとも、その「金井」。今は、どこにあったのか、さっぱり、わからない。ひょっとしたら、小金井神社のある場所かもしれないが。
場所がわからないぐらいだから、小金井、という場所も、それほど、著名な地域ではなかったのだろう。
そんな小金井なのだが、江戸時代に、脚光を浴びることになる。
北側、東西に伸びる玉川上水の土手に、延々と、桜が植えられたのだが、これが、観光スポットとして、大いに当たったのだ。
江戸名所図会に曰く。
爛漫たる盛りには、両岸の桜、玉川の流れを挟んで一目千里、さながら白雲のうちにあるあるがごとく。
という具合である。
当初は、観桜が目的で、桜の木を植えまくったわけではないらしいが、結果的に、観光地になったので、よしとしたのかも。
ということで、いつしか、小金井、というと、駅南側の崖地から、駅北側の、玉川上水桜並木、を指すようになったに違いない。
この有名になった、小金井の桜並木の中心に、小金井橋、という橋が架かっていて、今も残っている。もちろん、橋自体は、架け変わっているんだろうけど。
ここで、ちょっと、疑問が出てくる。
橋の名前もそうなのだが、「小金井」、という漢字についてなのだが。
「金」だけで、「こがね」、なのに、なんで、「小金井」は、「小金」、なんだろうか。そもそも、最初は、「金井(こがねい)」だったはずだし。
たぶん、「小金井」の「小」は、玉川上水の北側に広がる、「小川」、今の、「小平」、の「小」、なのかもしれない。
つまり、玉川上水の南側「金井」と、北側「小川」を結ぶ橋なので、小金井橋、と名前が付いたのだ。
その橋の周囲が、いつしか、観桜の有名な名所になってしまい、「金井」、という地名も、橋の名前と同じ、「小金井」、という風に、変化したのかも。
本当かどうか、わからないが。
それはそれとしても、時代の流れとは、本当に、不思議なものだ。
そして、今度は、中央線の高架化、である。
さて、どんな、変化が訪れることになるのやら。
(2009年7月記)