中央線中野駅(中野駅南口古い駅舎)

中野駅南口古い駅舎

武蔵小金井駅に戻り、再び、中央線に乗り込む。
路線は、三鷹駅で、いったん、地平になり、三鷹駅を出ると、再度、高架へ。
車窓の風景は、郊外から、都心へと、変わっていく。
すなわち、地表がすべて、建造物に覆われるようになるのだ。
ただ、次、地平になる、荻窪駅までは、住宅地、しかも、山の手の住宅地、という感じではある。
吉祥寺なんかは、ちょっと、垢抜けた街だし、特に、荻窪駅の南側一帯は、山の手住宅地となっている。
本当に、都心の家屋密集地帯は、荻窪、高円寺あたりから、先だろうか。
もっとも、こういう区分けよりも、中央線沿線を、中央線文化圏、という風に、一つに分類する方が、一般的かもしれないが。
すなわち、中央線沿線には、かつての、城東からの移住者によって、下町文化が齎され、それが、庶民的な雰囲気を残している、ということらしい。
だが、自分は、この、中央線文化圏、どうにも、胡散臭さしか、感じないのだけど。
たしかに、さっき、訪れた、武蔵小金井駅北口の商店街は、総武線錦糸町や、小岩駅周辺と似ていなくもない。京成電鉄沿線の押上、曳舟を髣髴とさせるような雰囲気も、ちょっとはする。
実は、自分も、中央線沿線を移り住んでいるので、下町的、庶民的な、街並みは、幼少の頃から、肌で感じてはいるのだ。
でも、それをもって、文化圏、なんていうのだろうか。
そもそも、総武線文化圏、京成電鉄文化圏、なんて、聞いたことないし。
つまり、文化圏、というのは、所詮、持てる者の、上澄み、から成り立っているんじゃないのかな。
下町とか庶民とか、まったく、関係ないのだ。
たとえば、渋谷、あるいは、自由が丘、の文化は、東急山の手の、上澄みで、成り立っている、というのは、わかりやすい。
中央線沿線の方は、どうだろうか。
郊外ベッドタウンが、広がるだけ。あまり、上澄みは、ありそうにない。
だから、中央線文化圏なるものは、胡散臭いのだ。
などと、考えているうちに、中野駅に到着。
南口に出てみる。
古くなってしまった駅舎は、相変わらず。
こんな倹しいところから、上澄みを、搾り出して、その結果が、中央線文化圏、というわけかな。
(2009年7月記)