山手線上野駅(上野の山から見下ろした上野の繁華街)

上野の山から見下ろした上野の繁華街

西郷隆盛銅像から、少し、東へと歩いていく。
下には、ちょうど、レトロな上野百貨店があるはずだ。
上野百貨店の屋上みたいなものかな。あるいは、上野の山の縁、崖下に、上野百貨店があると、考えた方がいいのかな。
その縁に立って、東側を、見やると、上野の繁華街が、一望の下に、見渡せる。
上野の山、という意味が、よくわかるな。
上野は、上にある野、ということだろうか。
上野の東側には、下谷、という地名がある。こちらは、下の谷、かな。
だとすると、上野と下谷は、セットになっているのかもしれない。
ところで、ちょっと、話は、遡るけど。西郷隆盛銅像のことだが。
その相貌が、実在の西郷隆盛と、似ているとか、そうでないとか、そういう話があるわけだが、それ以前に、少し前に活躍していた、お相撲さんの武蔵丸関には、とても、よく、似ている。
武蔵丸関、といえば、ポリネシア系。ポリネシア系、といえば、縄文時代だ。
つまり、西郷隆盛銅像は、期せずして、縄文時代を、表現しているように思える。
もっとも、この銅像が、完成したのは、明治時代中頃で、当時、どの程度、縄文時代というのが、認知されていたのか、わからない。おそらく、ほとんど、なかったのだろうけど。
ただ、このように、上野の街を、見下ろせるような、高台の上、さも、居心地のよさそうな台地に広がる森と野原に立つべき銅像を作ったら、太古の住民、という風になったのかも。太古の住民は、居心地のよい場所に、住んでいそうだし。
それにしても、西郷さんの浴衣姿、なんと、くつろいだ感じなのだろう。
勇ましい軍服姿が、街を見下ろしていたとすれば、街の住民は、あまり、気持ちよくはないはずだ。
そう考えると、西郷隆盛銅像、平穏な雰囲気を、体現しているに違いない。
(2009年8月記)