京浜東北線桜木町駅(野毛山動物園の入口)

京浜東北線桜木町駅(野毛山動物園の入

さらに北へ歩くと、陸橋がある。
そこから、下を見下ろすと、西側に、野毛山動物園の入口。
楽しそうな家族連れが、多く、出入りしている。
入園料は、たしか、ただなので、一瞬、ちょっと、入ってみようかと、思ったが、時間がないので、やっぱり、やめた。
高校生のとき、一度、訪れているし。
といっても、今もって、そのときのことが、思い出せない。
なんか、大きな鳥がいたような、いないような。これでは、行っていないのと、同じことだな。
いつか、時間ができたら、改めて、寄ってみよう。
かくのごとく、動物園に対して、不真面目な、来園者であったのだが、これでも、子供の頃は、よく、動物園に、行ったものだ。
自分の住んでいるところだと、行くとすれば、多摩動物園
森の中に、動物たちがいるようで、面白かったなあ。孔雀が、放し飼いになっていたっけ。
ところで、なぜ、動物園は、家族連れや、子供たちを、惹きつけるのだろうか。
ようするに、博物館の展示物が、生きた動物、ということなんだろうけど。
ただ、どうも、この、生きている、ということが、実は、重要なのかもしれない。
なぜなら、生きている、ということは、生態系を形成している、ということだからだ。
しかも、その、生態系には、動物園に限り、食物連鎖、あるいは、弱肉強食が、存在しない。
実際には、所定の場所に、各々の動物は隔離され、担当の飼育係が、管理しているわけだが。
でも、それらは、舞台裏、ということになっている。
だから、あたかも、それぞれの場所で、平穏に、暮らしている、動物たちを、順々に、訪問している感じになるのだ。
生きた標本の展示場が、期せずして、理想郷、桃源郷、になっているのかもしれない。
だが、残念なことに、そのことは、忘れられ、ひとときの行楽、として、片付けれてしまう。
そして、人生の黄昏の彼方に、子供の頃、訪れた、動物園を懐かしく思い出すばかり。
これでいい、といえば、いいんだけど。
なにか、割り切れない気持ちが、ちょっと、残るなあ。
もう帰ろう。帰りは、野毛坂を下るので、楽だ。
桜木町駅から横浜駅へ。
横浜駅に付いたら、ちょうど、湘南新宿ラインが来ていた。
すぐに、飛び乗る。早く、帰れそうだな。
(2009年8月記)