東村山市諏訪町(七国山病院のモデル 新山手病院)

七国山病院のモデル 新山手病院

東村山の北西側を、里山、というと、ちょっと、大袈裟すぎたかもしれないが。
でも、都心近郊にしては、よく、昔の風景は残っていると思う。
そんな一帯を、さらに、北へと歩いていくと、突き当たりは、森林に覆われた、丘陵地、そして、その手前には、幾つかの、医療施設の敷地が広がる。
この医療施設の一つ、新山手病院が、「となりのトトロ」に出てくる、七国山病院のモデルだといわれている。
ここでまた、不勉強を露呈してしまうが、てっきり、新山手病院だけ、あるのかと、思っていた。
敷地も、思いのほか、広いし。
どれが、新山手病院かわからず、東へと歩いていくと、だんだん、森の中に分け入ってしまう。
引き返すのも、面倒なので、そのまま進んでいくと、北側の、丘陵地の中へ。
山道を西へ歩き、適当なところで、南側への坂道を下る。
結局、ぐるりと一周してしまったわけだが。
坂道を下りきったところは、もちろん、最初に来た、もとの場所。
実は、その地点から、西側が、新山手病院だったのだな。
入口に立って、あらためて見ると、感激してしまった。
となりのトトロ」では、木造の入院棟ぐらいしか、映っていないんだけど、その雰囲気は、今でも、残っているからだ。
気のせいかもしれないが。
ところで、この新山手病院は、最初は、保生園、という、結核療養所だった、ということだ。
おそらく、サナトリウム、保養所、などの機能も、期待されて、このような、環境のよい、里山に立地しているのだろう。(隔離という側面もあるが)
もっとも、患者さんにとっては、保養どころでは、ないかもしれないが。
でも、医療的に関わることのできない、まわりの家族、関係者にとっては、患者さんにしてあげられる、唯一のこと、それが、里山のような、場所での治療、だったんじゃないかな。
そう考えると、「となりのトトロ」に出てくる、七国山病院の立地環境は、幼いメイが、母親の病気を治そうとして、一生懸命、届けに行こうとする、もぎたてのトウモロコシと、同じような気がしてくる。
つまり、患者さんや、その家族、関係者の、不安、怖れ、悲しみの対極にあるものとして、その願いが籠っているのが、豊穣な里山なのだ。
だから、異様に美しく、里山が、描写されているのだと思う。
(2009年8月記)