市川市菅野(菅野付近外郭環状道路工事現場)

菅野付近外郭環状道路工事現場

そのまま、道なき道を、南へと、歩いていく。
実際、道はあるのだが、本当に、路地裏、住宅街の中の道、という感じだ。
そのうち、徐々に、まわりは、普通の郊外、という趣になってくる。
ちょっと、違うのは、さらに南側、遠くに、松林が望めることかな。
東西に流れる、真間川を越えると、菅野に入る。
菅野は、漢字の示すごとく、水辺に生える、菅が、一面、繁茂した野、からきているのだろう。野、というよりも、湿地帯だったろうが。
その湿地帯の中心は、真間川だったに違いない。
その、真間川についてなのだが、昔は、北から、流れくだり、西に、向きを変えて、江戸川に、合流していたのだ。
だが、今は、逆に、江戸川から、分流して、東へと流れている。
湿地帯を、とても、緩やかに流れていたので、こんなふうに、流れを、正反対にできたのだろう。
ただ、穏やかなのは、真間川ばかりではない。
真間川の流域の環境、雰囲気も、穏やかなのだ。
今回、最初に、訪れた、国府台も、そうだったっけ。その丘陵地も、西側では、真間川のすぐ、北側まで、迫り出している。
そして、こうした、温和な、環境だと、やはり、例に洩れず、幾多の、歴史上の、遺跡が、多数、残っていたりする。
中でも、有名なのは、手児奈伝説かな。
たぶん、古代の、言い伝えや、その頃の、遺物から、伝説が、生まれたのだろう。
万葉集に、その手児奈伝説から、生まれた、歌が載っている。
山部赤人の有名な歌だが。
その時の、経緯が、面白い。
下総国府を訪れた山部赤人、手児奈伝説に興味を惹かれ、かの故地を散策し、手児奈の弔われた場所を、探したが、草木が生い茂っていて、判然としなかった、云々、といった件。
おそらく、もともと、古墳があって、その古墳が、伝説のヒントになったのかな。
それよりも、万葉集が、編まれた、古代も、今も、やっていることは、同じようなことだ、というのが面白いのだ。
さて、外郭環状道路工事現場を辿る、道行は、まだまだ、続く。先を、急ごう。
(2009年8月記)