都営大江戸線若松河田町駅(戸山付近大久保通り)

戸山付近大久保通り

国立国際医療センターの南側を、東西に伸びる、大久保通りを、西へ歩いていく。
一部、道路の形状が、ちょっと、不思議な感じだが。
最初は、医療センターの前なので、広場にでもなっているのかと思っていたけど。
たぶん、昔は、道路が、医療センターの手前で、直角に南に折れ曲がり、南進、すぐに、再び、直角に、曲がり、西へ伸びていたのだろう。
こういうのを、クランク、というのかな。
それが、今は、無理に、まっすぐになっている。
そして、南側に折れ曲がっていた部分は、おまけのようになっているのだ。
そのおまけの空間は、いちおう、道路なんだけど、もはや、道路としては、機能していない。
タクシーが、休憩するには、いいかもしれないが。
ひょっとしたら、こういう、クランク構造の道、すぐ近くに、徳川尾張家の下屋敷があったからかもしれない。
つまり、まっすぐの道路をわざと、折れ曲げさせて、敵が、こちらに、直進してこないようにしたのだ。本当に、そうか、わからないけど。
そんな風に、昔の道路の形状を、変更してある、ということは、大久保通り自体、新しいのだろうな。
歩いていても、都心の道なんだけど、雰囲気は、郊外のニュータウンのような、感じがするし。
そんな大久保通りなのだが、その南側は、がくっと、下がって、低地になっている。
おそらく、かつて、北へと、流れていた、蟹川の谷地に違いない。
そう考えると、本来、大久保通りは、今の、高い位置に、あったわけではないのかもしれないな。
高架になっているのかどうか、わからないが、その、蟹川の谷地を、越えていく、構造になっているのだ。
やはり、新しい道路なのだろう。
(2009年8月記)