山手線新大久保駅(大久保のかつての裏通り)

大久保のかつての裏通り

コリアタウンに入り、細い路地を、北へと、歩いていく。
路地も細いが、ここらへんは、町割りも、異様に、細長い。
どういうことかというと、南北に伸びる、道は、短い間隔で、幾筋も並んでいるのに、東西に横切る道は、職安通りと大久保通りの真ん中に、一本しかないのだ。
だから、とても、奥まった感じがする。
たぶん、江戸時代、この場所に配備されていた、百人鉄砲隊のために、そのような、町割りになったのかも。
こんな風に、奥まっていると、防御しやすい感じがするからだ。実際は、どうだか、わからないけど。
北へ進んでいくと、ようやく、東西に伸びる道路に出る。
職安通りや、大久保通りから、かなり、離れているので、外部から、容易に、見通せない感じだ。
そういうわけだからかな、バブルの頃からしばらくの間、ここらへんには、街娼が、少なからず、立っていたのだ。
ほとんど、外国からやって来た、街娼だったけど。
そのころの日本は、まさに、無敵。ジャパンアズナンバーワン、黄金の国、そんな時代だったな。
そういうわけで、街娼も、惹きつけられて、はるばる、日本にやってきたのだろう。
そんな、かなり、危険な、大久保の裏通りを、新宿に行った帰り、よく通ったものだ。
怖いもの見たさ、好奇心、背徳感、そんな気持ちが、頭の中を、ぐるぐる回った状態で、細い路地を歩いていくと、たいてい、この、東西に伸びる道の辻々に、街娼がいたりする。
そちらを、ちらっと見ると、ラテン系で、開けっぴろげで、屈託のない、大柄な女の子が、無邪気に笑っていた。
その、罪のない笑顔を見ていると、いつも、なにか、いたたまれない気持ちになってしまう。
そして、歩を早めて、大久保通りへ急ぐのだ。
彼女たちも、無邪気だったけど、あの頃の自分も、あるいは、日本全体も、ずいぶん、無邪気だったんだなあ。
今、こうして、がらんとしている、路地を、歩いていると、つくづく、そう思ってしまう。
(2009年8月記)