りんかい線東京テレポート駅(都立潮風公園に立つ等身大ガンダムの後

都立潮風公園に立つ等身大ガンダムの後

公園内にある林を抜けると、眼前には、大きな広場。
その広場の中央には、巨大な、ロボットの模型が立っている。
ロボット、というと不正確かな。モビルスーツと言わなければならない。
そのまわりを、大勢の見物客が、取り囲んでいる。
等身大ガンダムが、展示されているわけだが。
今に至るも、このような、大きな人気、熱気、というのは、驚くべきことだな。
熱気そのものの、大きさも、さることながら、なぜ、これほどまでに、この作品が、見る者を惹きつけているのか、ということも、実に、興味深い。
興味深いといっても、自分が、ガンダムを見たのは、かなり、後だったので、作品そのものに、興味があったとは、言えないかもしれないが。
たしかに、戦闘シーンは、迫力があったし、主人公の、ヒーローらしからぬ、悩みっぷりを見ていると、見る者が、感情移入しやすいのだな、と感じたものだが。
ただ、今回、等身大ガンダムを、訪れるにあたって、予習のため、「ガンダム?哀・戦士編」というのを見たけど、いったい、どういう内容なのか、そもそも、どこが面白いのか、さっぱり、わからなかった。
これでは、あの、西武新宿線下井草駅前の本屋の細君と、同じではないか。
例えば、主人公、アムロの初恋の相手、マチルダ中尉は、当のアムロの眼前で、敵モビルスーツに、輸送機のコックピットごと、叩き潰されてしまうのだが、こんな、異常に凄惨な光景、アムロには、心的外傷しか、残さないんじゃないかな。
たぶん、マチルダ中尉は、結婚式が近かったらしいので、アムロの初恋の喪失を、表現したかったのかもしれないが。
でも、初恋の喪失と、叩き潰されてしまうこととは、まるで、次元の違うことだ。
同じことは、全体的にも、いえる。
日常が、妙に、微温的な学園ドラマ風なのに、それを取り巻いているはずの、壮絶な戦争シーンは、ウソっぽくて、まるで、実体がないのだ。
それどころか、この学園ドラマの、延長のようにさえ思えるシーンまである。
これでは、この作品に、面白さを求めるのは、無理だな。
などと、散々なこと、書いておきながら、等身大ガンダムを見るために、わざわざ、お台場まで、やって来てしまったが。
結局、やはり、自分も、ガンダムの、なにものかに、惹きつけられているのかも。
(2009年8月記)