千代田線油島駅(湯島 実盛坂)

湯島 実盛坂

住宅街を、さらに、西に向かうと、眼前には、とても急な、階段が現れる。
階段なのだが、実盛坂、という坂なのだ。
この坂の名前、平家物語に出てくる、斉藤実盛から、とられているらしい。
ただ、なぜ、そうなのかは、さっぱり、わからない。
そもそも、斉藤実盛の本拠地は、ここから、はるか北側、埼玉県熊谷のさらにもっと北、利根川の南岸の、妻沼という場所なのだ。
そんな場所にいた、斉藤実盛と、文京区湯島の東側の地に、何か、関係があったとは、とうてい、思えない。
唯一、あったとすれば、妻沼には、有名な妻沼聖天山歓喜院があるのだが、実盛坂の近く、湯島天神の東側にも、湯島聖天心城院なる寺院がある。
両方とも、大聖歓喜天を祀っていて、なにか関係がありそうだが、たぶん、共通点は、それだけだろう。
ということで、実際、名前の由来については、よくわからないのだ。
それでは、しようがないので、ちょっと、平家物語の登場人物、斉藤実盛について、調べてみた。
調べてみると、時代の波に翻弄された、なんとも悲しく儚い、斉藤実盛の生き様が、浮かび上がってくる。
平家物語は、源氏の隆盛とともに、滅びゆく平家を、哀切に、謳いあげた、物語なのだが、その中で、どう考えても、彼は、うまくすれば、源氏の側として、立ち回ることができたように思える。
だが、滅びるとわかっている平家に、なんの因果か、身を置いて、獅子奮迅の働きをするのだ。
もちろん、その活躍ぶり、なんの、成果も生まず、崩壊していく平家に、巻き込まれ、結局、命を、散らせてしまう。
なんか、身につまされてしまうような、話だなあ。
驕る平家は、久しからず。驕る日本も、久しくなかったわけかな。
(2009年8月記)