千代田線油島駅(湯島天神)

湯島天神

実盛坂の急な階段を登りきると、台地の上に出る。
文京山の手、本郷台地だ。
西に行くと、すぐに、南北に伸びる通り。
通りに入り、北の方を見やると、遠く、鳥居が見える。
ひょっとしたら、昔は、神社の参道だったのかな。
その通りを、北へ進んでいくと、はたして、有名な、湯島天神
歴史は、そうとう、古いのだが、菅原道真を祀り、天満宮になったのは、鎌倉時代室町時代の間ぐらいだ。
そのように考えると、むしろ、新しい神社なのかもしれない。
では、それ以前は、なんだったのかな。
おそらく、今となっては、もう、まったく、わからなくなっているだろう。
そもそも、「湯島」という地名も、その由来が、わかっていないのだ。
古い地名は、実際、本当に、わからないものだな。
わかっているのは、この場所に、太古の昔から、連綿と続く、暮らしが、あったということだけ。
台地の上なので、とても生活しやすかったのだろう。
変わらぬ、長閑で、穏やかな、環境が、今に至るまで、続いてきたに違いない。
それに比べて、麓の低地は、変化が、著しい。
最近の、秋葉原の変化、そして、今は、すぐ近くで、高層ビルを建てている。
そういった変化の中でも、もっとも、顕著な変化は、南へ、流れていた、石神井川を、王子付近で、東側に流れるように、流路を付け替えたことだろう。
川がなくなったおかげで、一面に広がっていた、沼沢地の開墾が、可能になったのだ。
それは、鎌倉時代のことだったらしい。
とすると、湯島の神社が、天満宮になった時期と、同じなのかな。
同じどころか、実は、関係があるのかもしれない。
もし、そうだとすると、この、新しく開墾された土地が、台地の上と、同じように、いつも、変わらず、穏やかであって欲しい、そういう、願いが込められているのだろうか。
もう、今となっては、まったく、わからないけど。
でも、そんな願いがあったかどうか。いずれにせよ、やっぱり、麓の低地は、変わっていくようだ。
(2009年8月記)