総武線千駄ヶ谷駅(神宮 国立競技場)

神宮 国立競技場

渋谷川跡の歩道を、北へ歩いていくと、都立明治公園霞ヶ丘広場の、東西に伸びる通りを挟んで、北側には、国立競技場がある。
一見すると、都立明治公園と同じに見えるが、厳密にいうと、国立競技場は、明治公園ではなくて、明治神宮外苑の施設だ。
都立明治公園は、国立競技場と外苑西通りに挟まれた、細長い部分になる。
東京オリンピック前の写真を見ると、たしかに、国立競技場と外苑西通りの間には、まだ、住宅地があるようだ。
その住宅地の中を、はたして、渋谷川が、まだ、流れていたのか、写真には、そこまで、写っていないので、わからないが、たぶん、流れていたのだろう。
というわけで、国立競技場は、明治神宮外苑内の施設なのである。
だが、それで、もちろん、いいのだけど、別の見方もできるように思える。
明治神宮外苑は、明治神宮とセットで、造営されたわけで、そのとき、完成したのが、明治神宮外苑競技場なのだ。
ところが、その競技場は、終戦後、しばらくして、取り壊されている。
老朽化したというわけではなく、東京オリンピックを招致するために、戦前の、巨大な競技施設を、撤去してみせたのだ。
そして、その跡地に、まったく、新しい、競技場、国立競技場を建てる。
つまり、戦前とは、もはや、違うのだ、ということを、アピールしたわけだ。
そのことが、功を奏したのかどうか、わからないが、程なくして、東京オリンピック開催のはこびとなった。
ということは、東京オリンピックのために、造られたような、都立明治公園と、国立競技場は、無関係ではないように思える。
それどころか、明治神宮外苑よりも、都立明治公園と、セットだった、と考えてもいいくらいだ。
もっとも、そのおかげで、おそらく、国立競技場の西側を流れていたであろう、渋谷川は、地表から、姿を消してしまったのだけど。
(2009年9月記)