山手線田町駅(札の辻 元和のキリシタン殉教碑)

札の辻 元和のキリシタン殉教碑

御田八幡神社の北側には、巨大な住友不動産三田ツインビル西館がある。
このあたりは、なんともいえず、陰気な場所だ。この巨大過ぎる高層ビルのためではなく、実際、この建物が建つ前から、そうなのだ。
崖が、迫ってきていて、日の光が届かない、ということが、その理由の一つかもしれない。
だが、最大の理由は、この場所が、江戸時代初期、札の辻という、刑場だったからだろう。
刑場、というのは、たいてい、こうした、街道筋、街の入口にあるものだ。
だから、江戸の街が、大きくなると、それとともに、刑場は、もっと、南側の、鈴ヶ森に移っている。
第一京浜を、さらに、北へ。
住友不動産三田ツインビル西館の北側に出ると、一帯は、緑の多い、ちょっとした、庭園のような空間が広がっている。
その中、西側には、勾配の緩い、階段を設えた、小高い丘。
上っていくと、元和のキリシタン殉教碑がある。(経緯については、こちら
札の辻刑場の、もう一つの側面が、江戸時代のキリシタン大弾圧の場所だった、ということだ。
その後、供養のため、この場所には、智福寺が建立されている。今は、この寺院、上石神井の方へ、移転しているが。その代わり、ということで、庭園があるのかな。
もっとも、キリスト教の解釈では、大弾圧で亡くなることは、殉教になるので、供養の対象、という風には、捉えていないのだろう。
それなら、むしろ、寺院など、無用なのかもしれない。
ただ、一般的には、やはり、凄惨な、忌まわしい現場であることは、確かだ。
それに、「殉教」という言葉は、限りある、脆く、儚い、生を、単なる、道具にしてしまっているような気がしてならない。
ともあれ、このような場所に、こうした、慰霊のための、庭園が造られていて、なんとなく、ほっとした。
たぶん、あと、何十年も経てば、普通の、きれいな、小公園になっていることだろう。
思い出の中から、辛いことが、徐々に、消えていき、いつしか、楽しいことばかりになっていくのと同じだ。
かなり気になっていた場所だったけど。
少しは、安心して、帰ることができるようだ。
第一京浜を、また、歩き、田町駅に向かう。
(2009年9月記)