東武伊勢崎線曳舟駅(幸田露伴文学碑 露伴児童公園)

幸田露伴文学碑 露伴児童公園

そういえば、永井荷風が、再評価されたのは、バブル期、あるいは、その前ぐらいだろうか。
そんな記憶がある。映画「ぼく東綺譚」も、その頃だし。
たぶん、その当時は、永井荷風のように、一生、働かなくてもいい、ということに、なにか、現実味があったのかもしれない。
ひょっとしたら、生活が、永井荷風のようになっているのかも、ということだ。
そして、なんとなく、アメリカに行ったり、なんとなく、私娼窟に耽溺したり。
これじゃ、小説、「なんとなく、クリスタル」だな。
今となっては、夢のような話。
そんなことを思い出したながら、鳩の街通りを、歩いていき、途中、北東側へ。
住宅街の道に入り、そのまま、北東へと進む。
しばらく歩いていくと、通りの西側に、露伴児童公園。有名な、幸田露伴の家があった場所だ。
ただ、実は、近くには、他にも、家が、いくつか、あったらしい。
幸田露伴は、自宅を、蝸牛庵と名付けていたそうなのだが、それは、家を背負って移動する、カタツムリのごとく、一所不在、という意味で、だから、このように、あちこちに、家があったのだろう。
もっとも、これでは、別宅が、たくさんあって、気の向くまま、移り住んでいたように思えるけど。
ところで、幸田露伴、というと、不勉強なのだが、「帝都物語」に登場したことぐらいしか、知らない。
「一国の首都」なる書籍を上梓したから、登場したのだろうか。詳しいことは、わからないが。
そういえば、「帝都物語」も、たしか、バブルの頃に、ずいぶん、流行ったな。
自分も、夢中になった口だ。
だけど、何年か前に、文庫本を、もう一度、買って、読んだが、あまり、面白くはなかった。
たぶん、バブルの頃は、臨海副都心幕張新都心、みなとみらいなど、都市が拡大し、都市そのものが、テーマになりえたから、「帝都物語」も、興味深かったのだろう。
だが、今は、都市の中の、ある地域の、盛衰、浮沈、そんなことしか、テーマにならない。
だから、都市そのものへの、一般的な、興味は、なくなってしまったのだ。
(2009年9月記)