東武伊勢崎線東向島駅(東向島 白鬚神社)

東向島 白鬚神社

向島百花園を出て、西へ西へと歩き、南北に伸びる、墨堤通りを北へ。
すぐに、白鬚神社がある。
相当、古い歴史を持つ、神社だ。
その長い歴史の中で、興味深い、妙な、言伝えがある。
史実かどうか、わからないが、1592年、将軍家より寄進、ということがあったらしい。
でも、1592年といえば、足利幕府は、もう、とっくになくなっており、さりとて、まだ、徳川幕府は、登場していない。
将軍は、幕府の棟梁なわけで、ということは、この時期、将軍家は、存在しないことになっている。
もちろん、常識的に考えれば、この将軍家、というのは、徳川家を指しているんだろうけど。
もう少し、細かく見てみよう。
1590年、関東平野を治めていた、北条氏が、豊臣秀吉による、小田原征伐で、滅びてしまうと、その後に、徳川家康が、関東移封で、三河から、移ってくる。
1592年、将軍家より寄進、というのは、この地域での、その統治の移譲の、プロセスを、示しているようにも思える。
すなわち、代わって、一帯を、領したのは、徳川家に仕えていた、多賀氏で、治者の代替をアピールするために、古来よりある、白鬚神社に、寄進してみせたのではないだろうか。
そのとき、思わず、徳川家を、将軍家、という風に、告げてしまったのだ。
数年後には、実現するので、いいのだけど。
ちなみに、その、多賀氏の屋敷があったのが、向島百花園の場所だ。
そして、多賀氏は、いつしか、没落して、なくなっていまい、屋敷跡が、向島百花園になっている。
話は、戻るが、こんな風に、将軍家からの寄進、と格を上げてみせなかればならないほどに、白鬚神社は、歴史のある神社だったわけかな。
言伝えで、史実かどうか、わからないけど。
(2009年9月記)