日比谷線南千住駅(清川 玉姫神社)

清川 玉姫神社

明治通りを西へ西へと、向かう。
かなり、歩いたところで、南へ。住宅街に、入っていく。
しばらくすると、玉姫神社。
以前、一度、行ったことがある。
バブルが崩壊した後ぐらいだったかな。
行く前から、少しは、話には、聞いていたけど。
行ったときは、ちょうど、炊き出しがあった時かもしれない。あるいは、特に、その日、というわけではなく、常時、炊き出しがあるのかもしれないが。
神社の境内は、その日の炊き出しを、必要とする者で、溢れていたっけ。
このような光景が、東京、あるいは、日本の中に、あるなんて、ちょっと、想像もできなかったなあ。
今、経済状況は、あの頃より、はるかに、よくはないのだが。
姫神社は、どうなっているのやら。
ちょっと、おっかなびっくりで、覗いてみると、存外、境内は、静か。
炊き出しがあったころは、貧しくとも、何か、こちらが、気圧されるような、妙な、熱気、迫力があったのだが。
今は、もう、それすらも、ないのかもしれない。
あたりが、こんな風に、静かになったのは、貧困が解決されて、平穏になったからではないだろう。
この静けさは、諦念、諦めなのかな。
むしろ、なにか、やり切れない、もの悲しさを感じる。
この、もの悲しさ、侘び、寂び、といった類では、もちろん、ない。
重苦しく、冷ややかな、悲しさだ。
結局、あの後、どうなったんだろう。
来ていないので、わからない。
でも、炊き出しの場面を、想像もできない光景だ、なんて、暢気なこと、自分も、言ってられなくなってしまったことは、確かだ。
そんな、時代になってしまった。
(2009年9月記)